※※※子供応援団
音が消えた。
あの騒音の中だ。大きな声で喋っていた二人は、突然の静寂に思わず口をつぐんだ。
「……っ！」
ソウマの顔がぱっと輝いて、扉に向かって一目散に駆けていく。
「ソウマ！開けるなよ！」
慌ててラウルも追いかけ、扉が開かれるのを二人並んで待った。
あれだけ大きな音がするほどの衝撃にもびくともしなかった扉が、静かな音をたてて開かれた。
真昼の太陽もかくやと思われるほどの眩しい光が扉の外から差し込んでくる。
「まぶ…っ！」
二人はあまりの眩しさにぎゅっと目をつむった。
ラウルは先刻、ソウマが眩しくて見えないと言った意味を理解した。
見える見えないどころではない。目を開いていられない。
やがて、そろりと目を開けると、白い軍服と白い翼、星空のような輝きを持つ黒髪の天使が立っていた。
ガブリエルは戸口に並んだ二人の子供にちょっと驚いたようだったが、
「ただいま。二人とも大人しくしていたようだな」
微笑んでそう言うと、歓声をあげて一斉に飛びついてきた。
「おかえりなさい！すごかったんだよ！扉がドオンって！」
「窓だって割れるかと思った！」
かわるがわるに報告する子供に、彼は笑い声を立てた。
なかでも、ソウマの透視能力の発動は興味深く聞いた。
「…」
嬉しそうに笑う子供を見下ろして、部屋の中央へと誘ったガブリエルは、ラウルに小さな包みを渡した。
「ラウル、それに見覚えはあるか？」
少年は不思議そうにそれを開く。中の物を見た瞬間、はっと息を呑んだ。
「…父さんの…」
「やはりそうか。火葬してきたが、墓までは建ててやれなかった。…許せよ。お前の父御は最後まで勇敢に戦ったようだ」
ガブリエルの言葉に、少年は激しく頭を振った。
では、あの時やはり皆、殺されてしまったのだ。そして、そのまま放置されていたのだ。あの場所に…。
「おじさん…ありが…」
嗚咽でもう声にならなかった。
ガブリエルはそっと少年の頭を抱いてやった。
一時、静まっていたが、再びこの部屋に群がり始めたらしい。ざわざわと不気味な音が聞こえてきた。
「…二人とも、そこでじっとしていろ」
ガブリエルはそう言うと、すらりと剣を抜いた。
「…っ」
二人の子供は同時に息を呑んで、どきどきと胸を高鳴らせた。
この男が戦うのを初めて見るのだ。
ソウマは徽章をぎゅっと握りしめ、ラウルは胸元の衣服を握りしめた。
ガブリエルはなんの構えも見せず、軽く扉を開け、群がっていた敵を迎えた。瞬間、津波のように押し寄せた黒い影が襲い掛かった。
「…っ！」
二人の子供は思わず互いにすがりつく。
ガブリエルの剣が一閃し、影は霧消した。
第二陣が襲い掛かってくる。
彼は面倒だとばかりに、裂ぱくの気合とともに剣を振った。轟っと凄まじい音をたて、白銀の光が影を薙ぎ払った。
「わあ…」
ラウルが思わず口を開く。
敵の本隊が待ち構えていたようだ。
ガブリエルは一歩も引くことなく、闇の者の浸入をそれ以上許さなかった。
子供を捕らえようと伸びる黒い影を、剣で叩き切り、返す刀で脇から入り込もうとしていた影を横様に切り払った。その流れのまま、一体を逆袈裟に切り上げ、別の一体を袈裟切りに叩き切る。
この狭さで縦横無尽に走る剣に、影たちも警戒を見せはじめた。
天使の闘気は一向衰えを見せず、いよいよ高まるばかり。
「つ、強え…！」
「うん、やっぱりすごく強いんだ」
ラウルの呟きにソウマは嬉しそうに言った。
「俺、今日からおじさんのこと師匠って呼ぼう」
「…ししょう…？って、何？」
「先生のコトだよ。俺も師匠みたく強くなりたい！」
「僕も…！僕もししょうって呼ぶ！」
「ばっか。お前はお父さんでいいんだよ。…師匠、そんな奴らやっつけちゃえ！」
ラウルはソウマからガブリエルに視線を戻すと、その背に向かって威勢良く声を掛けた。負けじとソウマも声を張り上げる。
「お父さん、やっつけちゃえ！」
その声に応えるように、ザン、と影が真っ二つに割れた。
きゃーっと子供の歓声があがる。
「…………」
――そのときのガブリエルの顔を、ミカエルなりローティスが見たら、どんな感想を洩らしただろうか…。
子供応援団を背にして剣を振るうなど初めての経験で、ガブリエルはいささか複雑な心境だった。
だが、彼の口元にはいつのまにか笑みが浮かんでいた。
（なかなか新鮮な体験だな。…ふむ…悪くない）
もう一つ、気づいたことがあった。
真っ直ぐな"思い"は真正の力になるのだということ。
二人の子供の思いはストレートにガブリエルの中に入ってくる。それは確実に戦う力に変換されている。
こんなことは長の間、軍を率いている彼にして、一度たりとも経験したことがなかった。
これが、子供の、子供ゆえの力なのかもしれないと思った。
ガブリエルの剣は、黒い影たちをことごとく消滅させていく。
――であればこそ、早々に彼奴等を消さねばならない…
肚は決まった。
ガブリエルの容赦ない一閃が最後。闇の者の気配がいっさい消えた。
彼は剣を収めると、二人の子供に向き直った。
「…ソウマ。明日、城へ戻るぞ。ラウル、頼みがある」
「はい！」
二人の子供は元気よく返事した。
※※※白銀の炎
あの騒動をまったく知らない宿屋の主人と女将は、旅立つ親子との別れを非常に惜しんだ。女将特製の焼き菓子を子供二人にそれぞれ持たせ、３人の姿が見えなくなるまで見送った。
部屋を出る間際、ガブリエルはラウルの足にちょっとした術を掛けた。
「日暮れまでには城下の街に着きたい。それまでの魔法だ」
悪戯っぽく笑った天使に、ラウルは嬉しそうに笑った。
少年はガブリエルから頼まれたことがあった。それまで一緒に行くことになったのだ。
ガブリエルに抱かれていたソウマは、自分も歩きたいと言う。
「すまんが、もう少し我慢してくれ。先を急がねばならん」
苦笑するガブリエルに、ソウマは仕方なさそうに"はあい"と返事した。
通常歩けば一日かかる距離を、３人は半日で移動し、城下の街にたどり着いた。
ラウルは間近で城を見たのは初めてだったらしく、あんぐりと口をあけて聳える白銀の塔を見上げた。
「すっげえ…てっぺんが見えない…。師匠がいるのはどのへん？」
素朴な疑問に笑った天使は、ここからでは見えないと言った。ちょっと残念そうにした少年は、気を取り直したように姿勢を正すと深々と一礼した。
「師匠、今までありがとう。お世話になりました！…俺、師匠みたくもっと強くなるよ！」
「うむ。元気でな、ラウル。…じゃあ、頼んだぞ」
「まっかしといて！ちゃんと届けるよ！」
ラウルは布に包まれたそれをぽんぽんと叩いてみせ、じゃあね！と手を振ると駆け出した。…まるで、惜別の思いを吹っ切るように…。
「ばいばい、ラウル！またね！」
ソウマが少年に叫ぶ。ラウルは振り返り、くしゃっと笑って手を上げ、駆けて行った。
そして。
ガブリエルは翼を広げ、空へ舞い上がった。
「ごめんください」
日暮れ近く、玄関口で子供の声がした。
使用人が不思議に思って出てみると、十歳くらいの少年が立っている。
「あの、奥様にコレを渡すよう頼まれました」
少年が差し出した包みを受け取って開く。
美しい文様が刻まれた、樹海の通行証。
使用人は大慌てで中へ入っていき、出てきたときには婦人と一緒だった。
婦人は震える声で少年に尋ねた。
「ぼうや、これを一体どこで…？」
「ししょ…じゃなくて、黒髪の傭兵さんに頼まれたんだよ。黒い子供連れたひと…」
「あの方が…」
「うん。もしかしたらご存知かもしれないから見てほしいって」
少年の言葉に、婦人はその場にくず折れた。
「奥様…」
使用人は慌てて婦人に手を差し伸べる。
「サアヤ…では、あの人はもう……」
サアヤと呼ばれた使用人は、痛ましそうに目を閉じた。
「……」
少年はちょっと気まずそうに立っていたが、じゃあ、と言って反転した。
婦人ははっとして、慌てて少年を止めた。
「ぼうや、ダメよ！夜は危険なのよ。今日はここにお泊りなさいな。…おうちへ帰るのは朝になさい…」
ラウルは振り向いて、苦笑しながら言った。
「…俺、家はもうないんだ…」
子供が寝付いたことを確認したガブリエルは、再び街へ降りる準備を始めた。
今度は、れっきとした討伐である。純白の軍服を纏い剣を佩いて私室を出ると、軍服姿のローティスが最敬礼で出迎えた。
ガブリエルは、げんなりしたように訊いた。
「…ローティス、なんだ、その格好は？」
「はっ。私はガブリエル総帥の副官であります。副官たるもの、いかなる状況下であろうとも総帥のお側で闘うのが務めであります」
最敬礼の姿勢のまま、ローティスは、しゃあしゃあと言った。
「…子供が起きてきたらどうするんだ」
「大丈夫であります。執務室にはミカエル様が居て下さります」
「―――は？」
執務室に入ると、ミカエルと、あろうことかセラヒムまで居た。
「――あれ？」
ローティスが頓狂な声を出した。まさかセラヒムまで来ているとは思わなかったのだ。
ガブリエルとローティスの怪訝な視線を受け、ミカエルは思わずそっぽを向いた。
セラヒムが、はい！と手を上げる。
「安心してよ、ガブリエル。ボクが君の執務室で留守番してあげるからね！」
「いえ、監視、それはちょっと…」
ガブリエルが慌てて止めるが、セラヒムは "まかしといて" と景気よく請け合った。
天を仰いだガブリエルは、次いでミカエルを睨んだ。
「―――お止めしろ」
「無理だ。」
ミカエルの即答に文句を言いかけたが、
「監視はすでにその気になっておられる。俺も監視にお付きする。そのへんは心配するな。ただ、まあ…あのように楽しげなお姿を見ていると、無下にお止めするのもどうかと思ってな…」
"へへっ" とでも笑いそうなミカエルの言葉に、一瞬、眩暈を起こしかけたガブリエルは副官に尋ねた。
「こういう場合、親ばかと言うのか、子ばかと言うのか？」
「はあ…。ビミョウですねえ…」
今宵は新月。ことさら闇が深い。夜の住人も活発に動いているだろう。
街は黒く沈み、どの家も明かりが消されて眠りについていた。
闇の空から舞い降りた二つの影があった。
「ローティス、ここで待っていろ」
「…また…」
フードの中で不満げな顔をした副官に、ガブリエルは思わず吹き出した。
「子供みたいなことを言うなよ。お前にはここでやってもらいたいことがあるんだ」
「…はい。…ですが…」
「なんだ？」
「何をなさるおつもりか存じませんが、なるべく、常識的にお願いいたします」
「……常識が通じればな。」
裏通りの最深部。ぱっくりと口を開けた闇の中に平然と足を踏み入れた上官を見送り、彼はほどなく命令を遂行する騎士の顔になった。
淀んだような空気が纏わりついてくる。
ガブリエルはそのまま奥へと進んで行った。
もう、すでに街などではない。
侵食され尽くした空間が広がっており、存在するのは生臭い闇だけだった。
後ろから、横から、じわじわと闇の者がガブリエルを取り囲みはじめている。しかし、彼はそれらを一向に気にした様子も無く、ずかずかと踏み込んで行き、
「ここか」
低く呟いて見上げたのは館らしきものだった。閉ざされた門を蹴り飛ばして中へと入っていく。
強烈な腐臭に顔をしかめた。
「…まったく、鼻がおかしくなりそうだな」
文句を言ったところで、扉が勝手に開いた。
『ハイレ』
「…」
ガブリエルが中に入ると扉は大きな音をたてて閉まった。
中は無数の化け物がうようよしており、闖入者を珍しそうに眺めている。館はすでに建物の様相ではない。まるで生き物の腹の中のようだった。こんなところにあの子供が捕らわれていたとは、想像以上だった。
よくぞ１年狂いもせず、あの真っ直ぐな心根を保っていられたことだ。
（やはり、並みの子供ではないのかもしれんな…）
「お館さまというのはどいつだ？」
さわさわと化け物がさざめいて、一本の道を作った。
その奥、椅子らしきものに、座っているのか乗っているのか定かでない、ぶよぶよとしたものがあった。
そのぶよぶよゼリーの塊についた目が、きょろりとガブリエルを捉える。彼は憮然とした面持ちで言った。
「ひとの足元であれこれと小賢しい真似をしてくれたようだな」
『ダレダ？』
「…息子が世話になっていたようなのでな。一言礼をと思ったのだ」
『ムスコ…』
「黒い翼の子供だ」
そう言った途端、それがいきなりガブリエルに襲い掛かってきた。
彼はひょいと避ける。
まるで巨大な手が椅子から伸びているようなぞっとしない光景だった。そのぶよぶよの半透明な指がうごめいてガブリエルを捕らえようとする。
『オマエカ、アレヲ攫ッタノハ！カエセ。アレハ、ワレノモノダ！』
「攫ったのはお前の方だ。あの子供はお前の物ではない。俺の息子だ。一つ訊こう。町の子供をどうした？」
化け物の目がきょとんとした。
『クッタ。成体ヨリハ幼体ノホウガヤワラカイ』
そしてクツクツと笑う。
――骨も残っていないということだ。
ガブリエルは一つ溜息を落す。これでは足取りなど掴めないはずだ。
「人間に子供を攫わせて、何を対価にしていた？」
『ココニアッタ物ヲ与エテヤッタダケダ』
それが、人間にとって価値のある金銭や財宝の類であったろうことは容易に察しがついた。ガブリエルはますます憮然とする。
「…どこから来た？」
『入口ハアッタゾ？コノ下ニ』
「成る程。どこぞの馬鹿が開けたのだな。元の世界へ帰れ、化け物」
『イヤダ。アノ黒イ子供ヲワレニ返セ。ナラバ考エテヤル』
「断る」
『ナラバオ前ヲ食ウ』
それが言った途端、踏みしめていた床であったものがガブリエルの足を捕らえ、彼の自由を奪い、それまで眺めていた化け物が一斉に襲い掛かった。
「――っ！」
ガブリエルの体中に蛭のように張付いた化け物のその上へ、更に何重にも張付いて仲間と同化して彼を押し包み、やがて館そのものが一つの塊となって彼を取り込むと、咀嚼するように伸縮を始めた。
ローティスに与えられた仕事とは、このあたりをうろつく夜の住人を追っ払うことだった。
闇の者のように妖物もいれば、普通の人間もいるのだ。
上官がその人間を追っ払えと言うからには、それなりの理由があるはずだった。
「…ああああ、なんか、イヤな予感がするなあ…」
先程までの騎士の顔を捨てて、補佐官の顔になったローティスが思わずぼやいたときだった。
ドーン！
地響きと、爆音と、凄まじい光が、彼の背後から襲い掛かってきた。
「―――っ」
振り返って見えたもの。
それは真っ直ぐに天を貫く巨大な白銀の火柱だった。
いかに夜は出歩かないといっても限度がある。
今の爆発で、叩き起こされた人々の家から明かりが洩れ始め、寝間着のまま外に飛び出してきた者や窓から火柱をあんぐりと見上げる者が次々に出てきた。
「…あああ…やっぱり…。…この分じゃ大陸に穴があいたかもなぁ…」
ローティスは溜息とともに呟いた。
この発言からわかるのは、非常識なのは上官だけではないということだった。
ソウマは誰かに揺り起こされた。
月の無い夜は、部屋はいつもより暗い。
寝ぼけ眼で見上げたその人は、淡い金色に輝いて、まるで朝の光のようだった。
「だれ…？」
「ソウマ、起きなさい」
少年の…といってもラウルほど幼くはない、ソウマからみれば随分年上の少年の声だった。
「…ガブリエルが戦っているよ」
その名を耳にしたとたん、子供は跳ね起きた。
「…初めましてだね、ソウマ。僕はセラヒムだ」
金の少年は微笑んだ。
唐突にそれは起こった。
ドオン！という爆音が聞こえ、薄暗かった部屋に昼間のような光が差し込んだ。
白銀の、大切なひとが持つ光。
「――っ！お父さん！」
ソウマは叫び、ベッドから飛びおりると寝間着の裾をひらめかせてテラスへ駆け出した。
テラスには金髪の天使が立ち、振り向いて子供に微笑んだ。
「お父さん！」
爪先立ちで手摺に手を掛けるがよく見えない。
追ってきたセラヒムが子供を抱き上げた。
見えたのは、巨大な白い火柱。
天地を貫いた輝く白銀の炎。それは夜の闇を払うほどの光を放ち、白銀の天空城をさらに白く染め上げた。
子供は呆然とその炎を見つめた。
セラヒムが静かに言った。
「ソウマ、よく見ておおき。あれが、ガブリエルの炎だよ。この先、君がどんな人生を送ろうとも、あの炎を身の内に持ったひとが君の父親だということを忘れてはいけないよ。
たとえ、血の繋がりはなくとも彼を "父" と呼べるのは君一人であるということを、決して、忘れないことだ」
セラヒムの言葉が何を意味しているのか、ソウマには半分も解ってはいなかったろう。しかし、子供は素直に「はい」と頷いた。
