※※※歯車
もう一度、扉がノックされた。
「坊やたち…？どうしたんだい？」
二人の子供は思わず手を握り合う。
「お、おばさん、ありがとう。でも、さっきおやつはもらったから…」
ラウルは扉に向かって大きな声を出した。
「あんなじゃ足りないだろう？」
「ううん。そんなことない！まだたくさん残ってるから、だいじょうぶだよ！」
ソウマも声を張り上げる。
「お、俺たちもう少し寝てるよ。た、旅で疲れてるんだ。おじさんが帰るまで寝てるから」
ラウルの言葉に、宿屋の女将は〝そうかい？〟と言って後はしんと静まり返った。
「…行ったのかな…？」
「………」
ラウルは靴を脱ぐと、そろりそろりと扉に近づき、耳を押し当てた。
しばらく耳をすませていると、階下のほうから女将の元気な声が聞こえてきた。
「…行ったみたいだ」
ほっとして扉に背を向けたとき、カタカタという音がした。
「っ？！」
振り返って扉を見つめる。
カタカタ、カタカタ…
鍵が、というより、扉が小さく揺れている。
「―――っっ！」
ラウルは声もあげずに、飛ぶようにソウマの傍に逃げ帰った。
「ラウル…？」
「外、やっぱ何かいる…っ！」
心なしか青ざめた少年の言葉に、ソウマは息を呑む。
窓がカタカタと鳴った。ぎょっとして二人が同時に振り向く。
「うっ！こっちからも！」
ラウルが唸ってもう一つの窓を指した。
カタカタという小さな音は、徐々に大きくなっていく。
「ひいぃ…」
ラウルは生まれて初めての怪奇現象に、真っ青になっている。
「……」
ソウマは不安げな顔で、カーテンのかかった窓の外を透かし見るようにした。
まだ陽は高いというのに、まるでガブリエルが二人から離れるのを待ち構えていたようだ。
いきなり扉がドオン！と鳴った。ビクッと飛び上がった二人は、思わずひしと抱き合う。今度は窓がバン！と叩かれた。
「……っ！」
凄まじい騒音の中、声を出すのは禁忌のように思われて、二人の子供はぎゅっと目をつむって抱き合っているばかりだ。
部屋中が攻撃されているようだった。今にも破られそうな扉と窓は、しかし、ガブリエルが言ったとおりしっかりと閉まったままだ。
入り口が開けられず苛立っているのだろう、ますます音が大きくなる。
「…お父さんが結界張ってくれたから、入って来れないんだ…」
ソウマが呟けば、
「…なあ、なんでこんなでかい音がしてんのに誰も来ないんだろ…？」
ラウルが不審そうに言った。
まさか化け物たちに食われたのだろうかというラウルに、
「違うと思う…」
ソウマは首を振った。
「…なんでわかんのさ？」
「これをね、こうして握ってると、なんかいろんな物が見えるの」
ソウマはガブリエルの徽章を両手で包み込むように握って、目を閉じた。
「おばさんたちは大丈夫みたい。お掃除してるよ。おじさんは何か治してる…」
へえ…と呟いてソウマを見つめていたラウルは、はた、と気づいたように顔を上げた。
「なあ！おじさんは？おじさんはどうしてんだろ？」
一瞬ぽかんとしたソウマは、次いで花が開くような笑顔をこぼした。
徽章を握り、敬愛する天使の姿を求める。
「あっ！」
ソウマは声をあげて思わず徽章を手放し、目をこする。首から下がった鎖の先で銀の徽章がくるくると回った。
「ど、どうした？まさか、あいつらに…」
慌てた少年に、ソウマは首を振った。
「…まぶしい…」
ラウルはがくりと膝をついた。
外の騒音そっちのけで、少年は盛大に苦情を申し立てた。対するソウマは少年の脱力した顔がおかしかったのか、笑いが止まらなくなったようだった。
「ソウマ！」
「ご、ごめんなさい。だって…きゃはは」
手足をばたつかせて笑う小さい子供に、少年はぷりぷりしていたが、
「…で？眩しいって、何が見えたんだよ？」
「あ」
そう聞くとソウマは起き上がって、今度はにっこりと笑った。
「お父さんだよ。すごく眩しくてお顔も見れなかった…」
いまひとつピンとこないラウルは首を傾げる。
ソウマが言うには、徽章を持つと、姿と共に"色"が見えるのだそうだ。
人それぞれに持つ色があるようだが、ガブリエルのそれはあまりに強烈過ぎて姿が見えないのだと。白銀の光が太陽のように輝いていると。
「…早く会いたいなあ…」
徽章を大事そうに両手で掬い上げ、待ち遠しそうに笑ったソウマの呟きに、少年は心中で "帰ってこないかなあ" じゃなくて？と突っ込みを入れた。
騒音はもう子供の耳には届いていなかった。
賊が入ってきたのは１ヶ月ほど前。
裏取引を持ちかけたらしいが撥ね付けられた。
「この村には玉泉があってな。薬草も豊富だ。それもちと厄介な作用をする薬草だ。それらを狙って暴利を貪ろうという魂胆だったらしい。最初にその話を持ってきたのがそこに転がってる奴だ」
言って銀髪の男は転がった首を顎で指した。
逃げてきた村人の話では、この男も７、８年ほど前まではごく普通の取引をしていたようだ。しかし、珍しい玉の飾り物が当たって大金を手にしたのだろう。頻繁に顔を見せるようになったらしい。
一定の取引しかしない村の長老に痺れを切らし、玉と麻薬を目当てに村を占拠した上で、取引先であるキャラバンを見せしめのために皆殺しにし、放置していたのか。
胸くその悪い話だった。
（では、子供が攫われている件とはまったく無関係なのか…？）
心中で呟き、ガブリエルはちらりと空を見上げた。
まだ陽は高めだが、そうゆっくりしてもいられないだろう。
無関係ならば、なおさらだ。
礼を言って立ち上がったガブリエルに、銀髪の男は自分の家に招待したいと言ったが、丁重に辞退した。
心底がっかりしたような顔をするので、思わず苦笑する。
諦め切れないらしい男は更に言い募った。
「ヨウからお前のことを聞いて、一度会ってみたいと思っていた。会って、いい漢なら俺の妹の婿にしたいと思っていたのに…。いや、嫁に出してもいい。言っておくが、そこいらの女とは違うぞ。俺が言うのもなんだが、絶世の美女だぞ！気立てもいい！」
「…それはかたじけない。しかし、折角だが辞退せざるをえんだろうな。妹御にはもっと似合いの男を見つけてやったほうがよかろう」
困ったように笑って軽く頭を下げる。
男はしおしおと引き下がった。
何となく、誰かに似ているなと心の片隅で思ったが、今はそれどころではない。
彼は、地に転がったままの賊の頭だった男の首に近づいた。
その首。見て楽しいものではないが、まじまじと見つめてしまった。
これが、賊の頭…？
あまりに凡庸すぎないか？元は商人だが、首領ならもう少しそれらしい面構えをしていてもよさそうなものだが…。
賊は、一体この男のどこに着いてきていたのだろうか？
知力か？腕っぷし…ではなさそうだが。
首を捻るガブリエルは、ふと、耳の焦げ痕に気がついた。
「………」
足先でちょいと向きを変えてやる。
首はごろんと転がり、耳が上に向いた。
やはり、焦げ痕だ。外からのものではない。耳から炎が噴き出したような…しかも、嫌な瘴気が残留している。
早いところ燃やしてやったほうがよさそうだ。
「…操られておったようだな」
老人の声に顔を上げる。
好々爺然と笑っている老人に、ガブリエルは憮然として訊いた。
「ひとが悪いな、ヨウ。初めから知っていたのか？」
「まさか。お前さんがあの黒い子供を拾ってくるまでは、城で大人しく医者をやってたさ。わしでもできることがあるかもしれんと思って降りてきた。その途中、王に会って村に滞在させてもらっておる」
王とはあの銀髪の男のことだろう。
ヨウが樹海の王に聞いたところでは、樹海では子供が攫われるといった事件は起こっていないという。
何より、街をうろついても攫われた子供の足取りがつかめないのだと。
「鼻先で、忽然と姿が消えるようなものだ」
「成る程。彼奴等、あちこちで動き回って結界でも張り巡らしているようだな…。子を売る親もいれば、子供を買う者も…」
ふと引っかかるものがあった。
大金だと言わなかったか？
あることに思い至り、ガブリエルは息を飲んだ。
「…この男の胴体はどこだ？」
入り口付近の小屋の一つにそれはあった。
中は襲撃の様子が窺えるほどに荒らされ、テーブルはもとより、酒壷だの食べ残した肉などがひっくり返っていた。
首の無い男の身体が椅子から転げ落ちたような格好で倒れている。その腰に、文様を描いた札がぶら下がっていた。
これが樹海の、いわゆる通行手形である。この札を提示し、文様が確認されれば村へ入れるのだ。一見、何の変哲もない染料のように見えるが、偽造を避けるため樹海の奥深くでしか採れない植物を混ぜ、特殊な方法で確認しているようだった。
但し、一キャラバンにつき一つだから個人の身分証にはなり得ない。
「…掛けだな…」
呟きながらガブリエルはそれを外した。
「…まさか知り合いか？」
「いや。だが、俺の拾った子供は、おそらくこの男の妻に育てられてる」
ヨウが訊くのに、彼は憂鬱そうに応えた。踵を返そうとして更に別のことに思い至る。
「ヨウ、こいつの首を刎ねたのはいつだ？」
「小一時間ほど前になるかな」
老人の言葉にガブリエルは舌打ちした。
「いかん。場が移ったな。俺は戻る。王とやらによろしく伝えてくれ」
言いつつ小屋を飛び出した。人目があるために翼が出せないのだ。
今ごろ宿のまわりに彼奴等が群がっているだろう。言い付けを守って大人しくしていればいいが…。
「まて、天使！」
村から出かかったとき、重低音が呼び止めた。
天使だ？
怪訝に振り返ったガブリエルに、樹海の王が駆け寄ってくる。
「…いずれ、お前に剣をおくりたい。今はまだ鍛えの途中だが、わが一族の宝剣となろう。受け取ってくれるか」
銀の瞳がまっすぐにガブリエルを見つめている。
「…いただくにやぶさかではないが、宝剣ならばおぬしが持つべきではないのか？」
「いや。お前に持ってもらいたいのだ」
頑固に首を振った男にガブリエルは苦笑し、今度はその申し出を受けることにした。
銀の瞳が得たりとばかりに輝き、嬉しそうに笑った。
（…やはり似てるな…）
豪奢な金髪の、よく知っている男だ。
「では、俺はこれで失礼する」
軽く一礼し、さっと身を翻すともう振り返りもせず森の中に消えた。
「………王よ」
「何かな、医者天使」
「…剣なぞ、鍛えておりましたかな？」
老人の言葉に樹海の王は楽しげに笑った。
「おぬしに鍛えてもらっておるではないか！」
老人はやれやれと苦笑した。
「跡取りを手放すのですか…？わしの息子のために」
