※※※追う謎
ガブリエルがまず最初に着手したのは、５、６年前の出生台帳の洗い出しだった。
とはいえ、出生率が高いわけでもない種族だ。厚くもない台帳が２冊ほど。その２冊目も、もう頁は終わりかけている。
（…これは無届かもしれんな…。にしても、あんな珍しい色合いの子供が生まれれば、ウワサでもたちそうなものだが…）
ガブリエルは台帳を繰りながら考える。
この城国には"黒"を纏うものは滅多に生まれない。ガブリエルとて、昔はこの黒髪で異端視されたものだ。
しかし、それも今では軍最強の戦士の特徴として認識されている。そして、彼の直属の隊に入ることは、武官を目指すものの一つの憧れともなっていた。
…というのが最近のこの国の一般論であるが、ガブリエルにとってはそんなことはどうでもいいことだった。
（親の手によって闇の者に売られたか、それとも…？）
頁をめくり、そして、手が止まった。
彼の目がその一行に吸い寄せられた。
執行官サナム第一子、死亡（但し、遺体は未確認）
拾ってきた子供は日に日に元気になっていった。生来が大人しい気質なのか、ドタバタと走り回るようなことはなかったが、執務室で仕事をするガブリエルの傍で、本を読むのが殊のほかお気に入りの「遊び」のようだった。
ガブリエルが外出しているときは、ローティスの手伝いをしているようだ。
その小さな子供に、目が離せないとばかりについてまわるようになった白猫は、どうやら母親気分でいるらしい。
「ソウマ」
外から帰ってきたガブリエルは、観葉植物に水やりをしていた子供に声を掛けた。
「はい、ガブリエル様」
大急ぎで駆けて来た子供にソファに座るよう促す。当然のことのように白猫が子供の隣に収まった。
「……」
ガブリエルは珍しく逡巡したような様子だったが、ゆっくりと子供の前に片膝をついた。
「お前に、辛いことを思い出してもらわねばならない。俺の問いに答えてくれるか？」
一瞬、子供の瞳が揺れたが、きゅっと口を引き結ぶと、ガブリエルをまっすぐ見つめて頷いた。
七十二人の執行官が存在する中で、唯一、ガブリエルと対等の位置に立っているのがミカエル執行官であった。
彼はセラヒム監視の筆頭補佐官でもある。
執行官と監視役筆頭補佐官の兼任という世にも稀な肩書きを持っているのは、ミカエルただ一人である。
その、ミカエルの執務室の来客用ソファでお茶を飲んでいるガブリエルを、補佐官たちがうっとりと眺めていた。
「……」
そんな視線にさらされても、平然とお茶を飲んでいられるのは、慣れ以外のなにものでもない。
「すまん、待たせたな」
やっとのことで現れたのは、豪奢な金髪の、海のような青い目をした天使だった。
「いや。突然すまない」
静かに答えた同僚に何かを感じ取ったのか、ミカエルは補佐官たちを下がらせた。
そして、ガブリエルの向かいに座る。
「―――で？」
「サナム執行官を知っているか？」
いきなりの問いにミカエルはちょっと眉を跳ね上げた。
サナム執行官はミカエルと同じ上司についている。
「…知っているなら、人となりをおしえてくれ」
いつもと様子の違うガブリエルをしげしげと眺め、
「知っているが、…理由を聞いてもいいか？」
そう言うと、彼は少し眉根を寄せ、迷うように口を開く。
「……。サナム執行官の第一子のことは知っているか？」
「知っている。亡くなったそうだが」
「…どんなお子だったか、知っているか？」
「―――どんな？」
意味がつかみかねたらしい。怪訝そうな顔をしたミカエルに、ガブリエルは意を決したように言った。
「先日、街の裏通りで子供を拾った。黒髪で褐色の肌をしていて、翼も黒い男の子供だ」
「―――」
「闇の者に捕らわれていたようだ。逃げ出したところに出くわした」
友人の深い色の目を凝視していたミカエルはしばらく黙っていたが、ふう、と息を吐き出した。
「いかん…俺の手にはあまる…」
向かった先はミカエルの上司であるセラヒム監視の執務室だった。
ガブリエルの上司であるケルビムの執務室とは違い、ここは部屋中に光があふれていたが、ほどよく調節されいっそ気持ちがいい。
そしてこれもこの監視の特色の一つだが、通常、監視役の補佐官といえば数十人はいるものだが、この監視に限っては極端に少なく十人しかいない。
セラヒム監視曰く、
「執行幹部が七十二人もいて、ボクが数十人の補佐なんか集めてどうするのさ。忙しいミカエルにとっては迷惑だけど、十人で事は足りるよ。監視の仕事なんて１コしかないんだからね」
だそうだ。
ソファに腰掛けて待っていると、
「ガブリエル！久しぶりだね！」
少年の軽やかな声がした。
ガブリエルが立ち上がり、そちらに向き直る。
一五歳くらいの、ほっそりとした少年が白い長衣をなびかせて歩いて来る。その後ろをミカエルが付き従っていた。
「お久しぶりです、セラヒム監視」
微笑して一礼した黒髪の天使を見上げた少年の、金の瞳が嬉しそうに瞬いた。
「ホントにご無沙汰だね！キミはちっとも遊びに来てくれないんだもの。忙しいのは解るけどさ」
ふっくりとした赤い唇を尖らせて、ぷうと膨れてみせたセラヒムに、ガブリエルは苦笑する。
プラチナブロンドの髪をまっすぐに切りそろえ、少女といっても通用しそうな愛らしい相貌は、しかし、叡智を称えた金の瞳によって甘さや幼さといったものを否定されている。
そしてまた、この、少年のように見える彼こそが、九人の監視役のうち一番最初に産み出された最長老の「監視役」なのであった。
セラヒムはしばし目を閉じ、考えこんでいた。
「………」
ガブリエルはじっと返事を待っている。
「…キミはどうして欲しい？ボクが彼に問いただせばいいのかな？」
セラヒムの問いに、ガブリエルの答えは「否」だった。
「これは私の仕事です。…ただ、サナム執行官がどのような方なのか、私は存じませんので。それに…本当に拾った子供がサナム執行官のお子かどうかもわかりません。はっきりと言えるのは、あの子供が街で生まれた者でないことと、何者かの手によって城から出され、人の手から手へ引き渡された挙句、闇の者に売られたということだけです」
静かに言ったガブリエルに、セラヒムは一つ溜息をついた。
「…彼の奥さんはね、心の病気にかかってしまったらしいよ…。お子さんを生んですぐにね…。それは死産だったからというのが理由になってる。今はどうしてるのかな…」
「…」
「ガブリエル、ボクにも一つだけ教えてあげられることがあるよ。彼は――サナムはこのことを知らないよ」
「―――！」
ガブリエルは瞠目する。
ならば、行き着く答えは一つだ。
母親が、夫にも告げず生まれた子供を誰かに預けたのだ。たぶん、その子の命を絶つように頼んで。
そして、頼まれた者はあろうことか街へと降りて行ったのだ。
それが、逡巡の末の結論だったのか、あるいはもっと邪な考えであったのかは知らないが。
ソウマの記憶には、闇の者の手に落ちるまでは、それなりに幸せな時も存在しているようだった。
だからこそ、ここ１年ほどの恐ろしい体験が浮き彫りにされ、たびたび夢に現れて子供を怯えさせる。
夜中に悲鳴をあげて飛び起きた時には、必ずミシロが彼を呼びに来た。子供が寝付くまで傍にいろというのだ。
ソウマがガブリエルの執務室に入り浸るようになったのはその頃からだった。
いたたまれない。
子供も、母親も…。
「…サナムに、伝える…？」
淡々とした声で問うセラヒムに、
「…本来ならば、それが正しいのでしょう。しかし、母親の気持ちもわからぬではありません。――かつて、私が里子に出されたように……尤も、私の場合は運が良かっただけですが。…いや、そんなことはどうでもいい。何より、あの子供に知らせたくないのです。今は…」
ガブリエルは自嘲気味に笑った。が、次に目をあげたときには厳しい執行官の顔になっていた。
「私が手を下すのは、あの子供に残酷な虐待を加えた闇の者たちだけです」
