※※※竟



　オリヴィエに促されて乗ったランドカーには、アレキサンダー・リバーが運転席に座っていた。
「ミス・ソールン。ご無事で何よりです。お兄様は軍の医療施設にいらっしゃますので、このままご案内します」
「……軍の……？」
　トイから兄を拉致したのは軍だと聞いていたエリスは、何となく不安を覚える。
「……ソールン様は、お兄様が軍の一部に拉致されたことをお聞きになったのですね？」
　躊躇する少女にそっと声をかけたのはオリヴィエだった。
「……はい……。あの……」
「警戒なさるのも無理はありませんね……。ですが、ご安心ください。お兄様を治療しているのは軍部の中の病院ではないのです」
　若干、苦笑らしきものを浮かべたリバーがそう説明してくれたが、よくわからない。
「ふふ……。ミスター・リバー。その説明では一般のお嬢さんにはわかりませんよ。……そうですね……政府ではなく、軍が出資して建てた一般病院、と申し上げればよろしいでしょうか」
　オリヴィエがくすくす笑いながら助け舟を出す。
　それで、やっとエリスにも合点がいった。
「あ、そういうこと……！　えと。ありがとうございます。よろしくお願いします！」

　エリスは、ランドカーの中でこれまでの騒動を聞いたのだったが、まさかそんな大変なことがおこっていたとは露ほども知らず、ただただ唖然として言葉もなかった。
　そして、飛び出していった自分を追って、ダリューンがリバーに知らせ、ダグラスが宇宙港まで来てくれたことも……
「彼……ダグラス君といいましたか……本当に貴女を心配していましたから、早く元気な姿を見せてあげてください」
　あまり表情のないリバーが、ほんの少しだけその口元に笑みを浮かべ、エリスに言った。

　「エリス！」
　兄・ランディの病室の前に設置された椅子から、歩いてくる彼女の姿を見て立ち上がったのはダグラスとダリューンだった。
「ダグラス、ダリューン……？」
　まさかここで会うとは思っておらず、エリスは驚いたように目をぱちくりさせる。
「良かった、無事で……」
　彼女の肩を掴み、下を向いて大きく息を吐いたダグラスは、絞り出すようにそう言った。
　エリスはダグラスの手が、少し震えていることに気づく。いつもの飄々とした彼らしくもない……。
「何かひどい目にあわされたりしなかったか？　けがは？」
　ダリューンが少し眉根を寄せて、確認するように訊いてくる。
　今まで友人らしい友人を作ってこなかったエリスには、彼らの気遣いがとても嬉しく、くすぐったく感じる。
　エリスは笑って首を振った。
「大丈夫。何ともないわ。あの……心配かけてごめんなさい。……さっき、リバーさんに聞いたの。二人が私を助けようとしてくれたこと……。ほんとに、ありがとう」
「……うん……」
　ダグラスとダリューンはお互い顔を見合わせ、何となく照れ臭そうに笑ったのだった。


　病室では、体中に包帯を巻かれたランディがベッドの上に体を起こしてエリスたちを迎えた。
「……兄さん……っ！！」
　エリスの驚愕と心配と安心とがまぜこぜになった声音に、ランディはかろうじてガーゼと包帯から免れた片目を笑みに細める。
「久しぶり、だね、エリス。もっと、顔をよく、見せて……声が、出にくくて、ね。聞きづらい、のは勘弁、しておくれ」
　掠れた声で言う兄に、エリスはただただ泣きながら首を振るだけだ。
　彼の怪我を慮ってか、ベッドのシーツを握りしめているエリスの手に、ランディはそっと手を置く。そして、ドアの前に立っている青年二人に目をやり――ダリューンを見て、　「君も無事でよかった」　と、呟いた。

　「……それでね、二人が人質になった私を助けようとして軍に応援を頼んでくれたの」
　エリスはそれまでのことをかいつまんで説明した。
「そうか……。二人とも、ありがとう」
　ランディは二人の青年に穏やかに礼を言う。
　それへ、ダリューンは背筋を伸ばし、きっちりと礼を返した。
「お礼を言わなければいけないのは俺の方です。あなたが助けてくれたから、俺はあそこから出ることができたんです……感謝してます」


　「じゃあ、俺たちはこれで」
　そう言って病室を出てゆく青年二人。
　エリスもまた椅子から立ち上がったのだが、
「兄さん。私ちょっと二人をお見送りしてくるね……私、今日はここに泊まるから。決めたから」
　そう決然と言い放つ。
「………………」
　ランディは驚いたように片目を見開いたが――何か諦めたように笑うと、「いいよ」と頷いた。が、ふと何を見つけたのか、妹の手をがしっと掴んだ。
「ど、どうしたの、兄さん……？」
　エリスの頬についた小さなかすり傷に、ランディの表情が固まっている。
「エリス。その頬の傷は、どうしたんだい？」
「え？　傷……？　わからないけど……たぶん、脱出機に乗った時かしら……？　シートベルトが掠ったんだと思うわ」
　言われて気づき、頬に触れたエリスは可能性を口にする。
　だが、兄の唇から洩れたのは、およそ聞いたこともないほど低く、乱暴な言葉だった。
「……あんのクソ爺……っ！　かすり傷ひとつつけずに還すって言ったくせに……っ」
　誰を指しているのかすぐに分かったエリスは、兄がトイを嫌っていたことを思い出す――ひょっとしたら、自分が兄と人質交代するまでにも何かあったのかもしれない……。
「……兄さんたら。これはトイおじさんのせいじゃないでしょ……」
　満身創痍の兄は妹の頬にうっすらついた小さなかすり傷に憤懣やるかたない様子。
　そんな一幕を見てしまった二人の青年は、そっと病室を出ていく。
　ダリューンは親友の将来をちょっとだけ心配した。
「……ダグラス。お前、アレを説得できる自信があるのか……？」
「……うるせ」



　　　　　　　§§§



　シヴァーンからの直通回線で通話の相手はエリス・ソールンであったことに、ペンタスの魔女は少なからず驚いていた。
　少女はまず、トイが魔女を害そうとしているのではないということを強く訴えた。そしてここで預かっているソールン家の通信機に数字を入力してほしいと頼んだのである。
　彼女はエリスに了解したことを伝え、通話を切った。
「さて……」
　ここで何らかの悪意があれば、城の中心に居る【帝】からの介入があるはずだが、それが無い。
　半身である黒衣の男に目を遣ると、大丈夫だというように頷きが返ってきた。

　魔女――千早は給仕ロボットに通信機を用意させ、少女から伝えられた数字を入力させた。すると、コードが切れ起動するはずもない通信機の小さなモニターが点灯し、男の声が再生され始めた。
『――初めまして、魔女さん。俺はトイ……本名は戸井田タケオってんだ。日本人だよ……ああ、わからなければそれでいい。まずは礼を言わせてくれ。お嬢……エリス・ソールンを保護してやってくれて感謝する。さて。そんじゃとりあえず、通信機とノート端末をつなげてくれ。説明する……』

　トイ――戸井田タケオ――曰く、この通信機にはチップが隠してあるという。
　ランディ・ソールンが軍の一部によって拉致されたあの日、通信機自体が盗まれなかったのは、あまりにも古いものであるため、昨今のものとは造りが違うからだと。また、通信機からデータを盗む場合、特殊な小型機器をかざすのみで収集できるため、仕様の違うチップのデータはそのまま残っているはずだということだった。

「……ああ、ヴァルの言ってた『奥のチップ』というのはこれのことか……」
　千早は思い出したように呟く。
　戸井田タケオの説明に沿って、通信機と端末を接続すると、端末の画面は文字と記号で埋め尽くされた。それらの文字と数字がすべて流れ去り、画面いっぱいの緑のグリッド線が現われ、砕けた。四角形が散らばり花の幾何学模様を形作ると、ブラックホールに吸い込まれるように消えていく。
　そして現われたのは、千早にとってはひどく懐かしい文字だった。


　散華


「サンゲ……」
　千早の呟きが、鍵だった。
　次の瞬間、花びらが散った。

　切り替わった画面には、ひどく無機質で事務的なデータが流れ始める。
　どこぞの惑星で為されていた人体実験の研究データ、関連組織、構成員。
　そして、
　闇組織シルバーリングの全容と関連事件、情報ルートと主要グループ、およびそれらに関わる人物の経歴のすべて――。

　千早でさえ、その情報に驚愕した。
「……バックボーンと見做されていた結社さえ、シルバーリングのカヴァーだったのか……！」
　流れているデータの中で、いくつか知っている結社が含まれていたのを見て、思わず呟く。
「そのようですね」

　ノート端末の方から戸井田の音声が聞こえた。
「……ここまで進んだってことは、あんたはやっぱり俺と同郷の人間なんだな……俺には見えなかったが、タモン……ってえ名前の竜がいたろ？　多門天だよな、四天王の。あんたに会えなかったのが残念だ。
……さて、と……。最初のデータはあんたが助けてくれたお嬢の兄と父親が入ってた医学会の実験データだ。これはすでにサタナの軍……おそらく化学兵器部の連中だが、その通信機から同じ内容のダミーデータを抜き取っている。元データはこっちだ。軍でダミーデータを開いたらワームが活動するようプログラムしてある……ああ、こっちの元はそんなものは入れてないから安心してくれ。ワームはデータを外部へ流すよう設定してある。医学会の実情は勝手に露見するからほっといてくれて構わないぜ。
……もう一つの方は【銀環――シルバーリング】の全容だ。こっちはあんたの好きにしてくれ。俺が言うのもなんだが、どうなっても文句は言えない碌でもねえ連中が集まった組織だからな。そいじゃ、達者でやってくれ。……できれば、これからもお嬢の力になってやってくれると嬉しい」

　そして、画面はブラックアウトした。



　　　　　　§§§



　ワープした先は原始太陽の傍。
　宇宙船は凄まじい熱と引力によって太陽に引き寄せられる。
　メインスクリーンは磁気嵐のようにザーザーと乱れ、時折、【客】たちの絶叫と罵声を伝えてくる。
　トイは彼らに嘲笑を浴びせた。
「悪党にゃ悪党の死に様ってもんがある。太陽に焼かれるなんざ、これ以上の死に様はねえだろう？」
　彼はメインスクリーンを客室から切り替え、前方の巨大な火の玉を映す。
　そこにはありうべからざるものが居た。
「…………！！」
　凄まじい高温など感じておらぬかのように佇む存在たち――玉虫色のドラゴンを中心として数百ものドラゴンたちが、まるで葬送の列のように宇宙空間に浮かんでいた。
「よう……久しぶりだなあ……。実は、もいっかい会いたかったんだ……お前さんたちのせいでこんな所へ吹っ飛ばされちまって、この五十年ばかしえらい目にあったぜ……でもまあ……悪かなかったけどな」
　トイは嬉しそうに眼を細め、玉虫色のドラゴンの姿をその目に焼き付けるように凝視し――やがて彼の視界は強烈な白で埋め尽くされた。



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　「惜しいことをしたかな……」
　窓を透かし見るように呟く主に、黒衣の男が首を振った。
「悪党には悪党の死に様があると言い放ったほどです。御前が介入なさればあの男の矜持に傷がつきましょう」
「……そうだね……」
「でーた回収・完了シマシタ」
　給仕ロボットが告げた。
　千早は更に指示を出す。
「回収したすべてのデータをシヴァのシークレットアクセスに送りつけてやるといい。そしてお前のメインからはすべて抹消しろ。――私は少し眠る」
「了解シマシタ」
　魔女が黒衣の男とともに扉の向こうに消える。




　「でーた送信完了。及ビ、当めいんこんぴゅーたーヨリ当該でーたノ抹消ヲ完了シマシタ」