惑星サタナは完全に封鎖され、その日宇宙港に入港予定だった船はすべて軍によって足止めされた。
一方、不審船を捜索していたサタナ軍戦艦サジタリアは、ほど近い宙域にある惑星の傍で停泊している船を探知した。
不審船は惑星の陰に隠れているため、正確な船影を捉えることが難しい。目的の船であるかどうかも定かではない。だが、ここでこまねいていてはみすみす取り逃がすことになるかもしれない。
司令官はサジタリアを相手にそれと悟らせないようできるだけ近づけ、捕獲、最悪の場合は撃墜可能な距離まで詰めたところで、通信を行うよう命を出した。
「……！ 不審船、射程範囲に入りました！」
「よろしい。では……」
不審船に通信を、と続けようとしたところで、突然、メインスクリーンにいくつもの『顔』が映し出された。
「な、なんだ？！」
「不審船からです！ ……ですが、こちらからは通信できません！」
通信士の報告を怪訝そうに聞きつつスクリーンを見ていた司令官は、我が目を疑った。
「あれは……」
「研究棟の所長……それに、化学兵器部門の主任まで……」
司令官ほか、軍幹部は当然、他部門の幹部も知っている。中にいくつか軍に出入りしている業者らしきものもいたが、サジタリアの巨大なメインスクリーンに映し出された十数人の顔は、すべて、政府病院研究棟に深く関わりのある者たちのものだった。
一つのスクリーンに十数ものテレビ画面を映し出したような様相だ。
通信マイクから複数の声が響き渡る。
『おい、なぜこんなところで停泊している？ サタナ軍に見つかるんじゃないか？』
『保険屋！ ドアが開かないぞ！ ワインが飲みたいんだ、置いてないのか？』
それに対し、別の声が応えた。
『ご心配なく、皆さん。……ああ、申し訳ありませんが、ワインは置いてありません。ほどなく、誰の手も届かないところへお連れしますのでご安心ください。――さて……
政府病院研究所所長どの、サタナ軍化学兵器開発部開発主任どの、および経理部長どの、乗り心地はいかがでしょうかな？ 先ほども申しましたが、船はほどなくサタナを遠く離れます。多くの命が失われた
飄々とした、にもかかわらずどこか毒を含んだ声音に、スクリーンに映し出された軍幹部は無表情のままだったが、研究所所長は不快気に声を荒げた。
『研究材料に何を言うことがあるというのだ。未来のためにあってしかるべき犠牲だろうが！ 尤も、あの狂ったオルベックという
『……ああ、オルベック。あの狂人は死んだようですがね』
研究所所長の喚き声にも、対する声は飄々としていた。
『所長と同感だな。研究材料になった者は不法侵入者だ。浮浪者の百人や二百人、どうでもいいだろう。追い出す手間も省けただろうしな』
肩をすくめたのは経理部長。
化学兵器開発部主任は、ふん、と嘲笑を漏らしただけだった。
『……なるほど。では、そろそろ出発しますか。……目と鼻の先に戦艦も迫ってることですし』
声はくつりと嗤って乗客たちをぎょっとさせた。
一方、唖然としてこの会話を聞いていたサジタリアの乗員たちだったが、通信士の一人が慌てたように司令官に叫んだ。
「司令官！ この通信が、サタナの通信衛星に流されています！」
「なに……っ」
時すでに遅し――
この不審船でのやりとりはすべて、サタナ惑星上にもたらされ、待機していたテレビクルーたちによって星系全域に拡散された。
トイは宇宙船のコンピューターに告げる。
「F3格納庫をあけて、人質を放り出せ」
「F3 格納庫 開扉シマス。Ｋ５０３号 脱出機 ハ マモナク 当機ヲ 離脱シマス」
サジタリアの捕獲レーザー砲が不審船に向けられた直後、通信マイクから脱出機の存在を耳にした司令官は、発射を制止させた。
人質は少女だと聞いている。政府病院研究棟に監禁されていた満身創痍の兄との交換条件だったとか……ここで一般人を攻撃することにでもなれば、軍はさらなる悪評を被ることになる……。
いったい、外で何が起こっているのか知る由もないエリスは、いきなり扉が開き宇宙空間が広がったのを見てぎょっとした。
Ｋ５０３脱出機は、船を離脱することを告げ、乗員に注意を促す。
「え……」
困惑するまもなく、襲い掛かって来た圧力に思わず息を止め、ぎゅっと目を閉じた。
そして、エリスを乗せたＫ５０３は、凄まじい勢いで宇宙船からはじき出され、宇宙空間へと飛び出したのである。
「おじさん……！ トイおじさんっ！」
エリスはできるだけ首を捻り、振り返る――トイの乗った船はみるまに遠くなっていき、進行方向にサタナが大きく見え始めたのだった。
軍の戦艦はエリスの乗った脱出機のために攻撃は控えるだろう……その読みは当たったようだ。
トイは画面に小さな脱出機がサタナに向かっていくのを確認し、微かに笑む。そして、コンピューターに新たな指示を出した。
「座標２５０８９６４にワープ」
「宙域 座標 ２５０８９６４ ニ わーぷ シマス」
このトイの音声は星間通信を通し、戦艦サジタリア、および固唾をのんで見守っていた人々にもたらされた。
いち早くその情報を分析したサタナ軍の調査士が悲鳴をあげる。
「何をしている、追跡しろ！」
司令官の命令に、調査士は絶叫するように報告した。
「無理です！ この……この座標は、原始太陽のすぐ傍です！ ……あの船……もろとも太陽に突っ込む気ですよ！！」
ワープ
途端、不審船は、サジタリアのスクリーンは言うに及ばず、追跡していた惑星サタナの軍基地レーダーからも消え失せた。
トイの――研究所所長ら十数名の、逃亡者のたちの目前に現れたのは、巨大な太陽だった。
サタナ宇宙港へ、Ｋ５０３脱出機は静かに着陸した。
ハッチが開くと同時、エリスの身体を固定していたシートベルトは元の位置に格納された。
「ソールン様、お怪我はございませんか？」
かけられた穏やかな声はブライトナー家の執事、オリヴィエのもの。
「オリヴィエさん……！ はい、ありがとうございます。大丈夫です」
エリスは既知の顔にほっとして、頷いた。そして彼に手伝ってもらいながら脱出機から降りる。
握りしめていた小さな端末に気づき、思わずあたりを見回した――何故か遠巻きに軍人たちがこちらを見ていたが、早くしなければという焦燥に駆られていて深く考えることもしなかった。
「どうなさいました？」
オリヴィエはいつものように穏やかに問いかける。
「あのっ……、オリヴィエさん。魔女に連絡を取ることはできませんか？！ トイおじさんが、預かっていただいている通信機に番号を入力してほしいと……。あ、あ！ 大丈夫です！ おじさんは魔女に何か悪いことをしようとしてるんじゃないんです！ あの……それだけは、私、わかるので……」
必死な様子のエリスを、オリヴィエは束の間見つめ、小さく微笑んで頷き、懐から端末を取り出して主人に了承を求めた。
それを受け、シヴァーンはその場でペンタスの魔女に回線を繋いでくれたのだった。
「……よかった……」
魔女との通信を終え、大きく息を吐いたエリスの膝からがくりと力が抜けた。
すかさずオリヴィエが支えてくれる。
「す、すみません……なんだか、安心しちゃって……」
恥ずかしそうに頬を染めた少女に、老執事は柔らかく応えた。
「無理もございません。さ、どうぞこちらへ。お兄様がお待ちですよ」
