※※※何以



　この『貨物船の誤爆』騒動は、当然のことながら衆目を集めることになった。政府病院研究棟に軍が突入した直後のことでもあり、誰もが一連の事件だと察する。
　そうして、惑星サタナの野次馬だけではなく、他星系のマスコミまでもが嗅ぎつけ、特派員を送り込んでくる始末――出遅れた形の軍は、不審船――逃亡者たちを追うよりもこちらに手間取ってしまうことになった。

　また、いち早く宇宙港に来ていたリバーの部隊は、ある貸倉庫で逃亡者たちの家族とみられる複数の人々を発見し、事情聴取のため軍司令部へと移送した。



　一方、まんまと宇宙港から脱出した宇宙船は、サタナからほど近い宙域にある小さな惑星の陰に隠れるように停止していた。
　トイはひとり操縦席に座り、外部の様子をスクリーンで観察していた。そして、客室に入った『客』たちも、そのスクリーンに映し出されている。
　それらをざっと確認すると、彼は立ち上がり操縦室から出て行った。
　向かったのは少女がいる、小型脱出機の格納庫に隣接する小部屋だった。

　いきなりドアがあいて、エリスはびくっと肩をあげる。が、トイの顔をみて口を開きかけた。
「おじさ……」
「しっ！　こっちだ。――あれに乗り込め。ハンドルの脇にある赤いボタンを押してハッチを閉めろ。あとは何もしなくていい。早く！」
　トイは早口で言いながら、エリスの腕を掴んで引きずるように格納庫へ入ると小さなカプセルのような乗り物まで連れて行く。
　いきなりのことで何が何やらわからないエリスだが、言われるがまま、カプセルに乗り込んだ。
「まって、おじさん、ひとつだけ！　学校の門の爆発って……あれも軍のやったこと……？」
　トイがボタンを押そうと手を伸ばしたところを、エリスは両手でその手を握り、尋ねた。彼は、すぐさま首を振る。
「いいや、あれは軍じゃねえよ。俺でもねえ……あんな火薬を、学校の門に仕掛けるなんてことはな。これは俺の勘だが……たぶんブライトナーの嬢ちゃんを狙ったもんだろうと思ってるよ」
「え……」
「あの火薬で、あの規模で済んだってことは、ブライトナーが動いたってことだろう……現に生徒は誰も怪我しちゃいなかったろう？」
「うん」
「……あの火薬がどんなものだったか知りたければ、ブライトナーのあの執事に訊くといい」
　トイは多くを言わない。エリスは束の間、彼の顔を見つめ、頷いた。
　そして、何を思ったか、トイは低く優しい声で語り始めた。
「お嬢にとっての真実と俺にとっての真実と、どっちが正しいか？　どっちも正しい。そして世界にとっての真実と俺とお嬢の真実は互いに真っ向から反発するものかもしれない。でも全部が真実だ。だけどな、真実だろうが何だろうが、自分の見ているもんは、すべて、ひっくり返せると俺は思ってるんだ」
「…………」
　エリスには、トイの真意は判りかねた。ただ、何となく、彼とはこれが最後なのだろうという予感めいたものだけが胸に湧き上がる。
　泣きそうな顔を向けたとき、トイが囁くように言った。
「お嬢。一つおつかいを頼まれてくれ。サタナに戻ったら、真っ先に魔女に連絡するんだ。預けた通信機のこの番号を押すように伝えてくれ。いいか、絶対に失くすなよ。できれば他人に知られないように」
　エリスに小さな端末を握らせる。そこには羅列した数字が映しだされていた。
　通信機とはあの古い通信機のことだろうか……？
「おじさん……なんで……」
「……たぶん、これでもう、お嬢と兄さんの逃避行も終わるはずだ。ああ、そうそう。あの坊ちゃんと仲良くな」
　トイはにこりと笑うと、エリスが顔を赤くして何か言うより早く、カプセル脱出機の操縦管の傍にある赤いボタンを押した。同時に、シートベルトが作動し、彼女をしっかりと固定する。
　何か言いたげなエリスの姿が分厚い透明なハッチの中におさまった。
それを確かめ、
「……元気でな」
トイは小さく笑うと、格納庫から出て行った。
「おじさん……っ！」
　エリスは思わず声を上げるが、もう届かない。
　静かな稼動音とともに、真っ暗だった画面が一気に点灯する。
「当機ハ　Ｋ５０３　脱出機デス。着陸目標ハ　惑星８９７　さたな　中央宇宙港デス。　ソノママ　オマチクダサイ」



　　　　　　※※※



　今も耳に残っている幼い少女の、自分を案ずる声――。

「おじちゃん、あのね……青い服のひとは、悪い人なの。だから、仲良くしちゃだめなの」


　トイが惑星ゴルドの医学会に出入りし始めたころ、ひょんなことからソールン家の通信機の修理を頼まれて赴いたのが最初。そこには小生意気な小学生男児と、三つか四つになったばかりの幼女がいた。
　幼女――エリスはよく通信機をいじる自分の傍らに座り込んで、じっと眺めていたものだ。一度、ママのところへ行きな、と追っ払ってみたことがあるが、一旦は去るもののいつの間にか戻ってきていて傍らにいる。
　悪さをするわけでもないので放っておいた。
　そういうことを重ねるうちに、ぽつぽつと会話が増えていくのだが、エリスの異能を知ったのはそのころだ。
　当時はまだこちらの言葉に混ざって故郷の言葉が出ていたのだが、どうやらエリスにはトイの言いたいことがわかるらしい。そして、幼く語彙が少ないゆえに、彼女は『意思』を言葉でない言葉で伝えてくる――つまり、テレパシーを使うのだ。
　ソールン医師はトイが何者であるか、薄々知ってはいたはずだ。エリスの能力を忠告することは、トイにとってもソールンにとっても諸刃の剣になりかねないことは重々承知の上……だが、トイはソールン医師に娘の異能を隠すよう、忠告した。
　ソールン医師は束の間の沈黙の後、頷いた。
「ありがとう。エリスのことは対処するよ……。でも、やはりそうか……血縁者だけが感知できるレベルではなかったのだな……」
　父親も気がかりではあったのだ。
　それもそのはず、裏の世界では悪名高い『医学会』のメンバーだ。所属する組織が、大義名分をかざしてメンバーの子供を実験体として要求してくることは目に見えている。
　そのころからだ。ソールン医師との奇妙な共闘関係が始まったのは。

　そうして彼女が言葉を覚え、テレパシーを使わなくなったころ、トイは謎かけのような忠告をエリスからもらった。
　青い服の人間に気をつけろ、と――。

　その時は「気をつけるよ」と笑って軽く受け流し、そのうち忘れていた。
　だが数か月のち、彼は少女の言葉を思い出したが故、命拾いをすることになる。
　あの時期、よく組んで行動していた男が一人いた。システムに関してはトイのほうが数段上であったが、ハード面に関して、その男はトイが感嘆するほどの腕前を持っていた――実は、宇宙港のストッパーを解除するシステムを格納し、実行させるためのハードを作成したのはこの男なのだ。
　トイは、彼をとても気に入っていた。
　彼の言動に小さな引っ掛かりを覚えてはいたが、それでも……。
　しかし、それと同時に、なぜか、以前エリスに言われた「青い服」という単語を思い出すようになった。
　決定打はそれほど時をおかず訪れる。
　時間をかけ、トイの信用を勝ち得たその男は、その日、青い服をまとって彼をある仕事に誘った。
　だがそれは『闇組織の幹部であるトイ』を亡き者にするための罠だったのだ。

「おじちゃん。青い服のひとは、悪い人なの」

　トイは己の能力を駆使してその男を調べあげた。
　罠にかかるとみせかけ、裏をかくようにそれから逃げおおせ、そして、自分を殺そうとした相手に報復を果たす――無論、それはいわゆる『事故』だ。
　その男はある公的機関の調査員だった。
　男の、命尽きる寸前に見せた驚愕の表情は今でも思い出せる。
　そして、その時、自分の心に広がったひどく苦い思いも――。



　 　　　　 　※※※



　それ以後も、何事もなかったようにトイはちょくちょくソールン家の通信機のメンテナンスに行った。
　エリスはあの事件のあと、じっと探るようにトイを見つめてきたが、彼がにこりと笑って少女の頭をくしゃくしゃに撫でてやると、きゃっきゃと笑い――なにやら得心がいったようだった。
　ほどなく、
　ソールン医師から医学会のデータを隠すよう頼まれ、通信機に埋め込む。そのついでにトイはある重要なデータも奥に隠すことにした――勿論、媒体は特殊なものを使う。

　彼は、彼個人のものとして、エリスの身の安全と通信機のデータを守ることをソールン医師と約束を交わした。
　ゆえに、それまで張り巡らせてきたカヴァー、あらゆる組織との繋がりを駆使し、下準備をしてきた。
　計画の構想は幾通りもあった。
　ランディが政府病院に招致されたという情報を得たとき、用意していた構想の一つを選んだ。
　ただ一つ、あとから盛り込んだものがあるが。



　あのとき、エリスにとってトイに害をなそうとする者は「悪い人」だった。
　トイにとっても裏切り者という「悪者」だった。
　だが、あの男にとっては闇組織であらゆる悪行を尽くすトイの方が悪者だった。

「……どれも真実だな……」
　トイは小さく呟き、うつむいて自嘲気味にくつりと嗤う。
　それもつかの間。
　顔を上げた彼の相貌には不敵な笑みが浮かび上がっていた。
「さて……本番はこっからだぜ」