※※※反乱分子
その【界】には、翼ある人々が住まう。人は天使と呼んでいた。
彼らが住まうのは宙に浮かぶ巨大な城である。天空に聳える塔がいくつも並び、輝く白い玉石で覆われた壁は、陽光に刻々と光彩を変化させる。
見あげる城門は結界のように固く閉ざされ、人々の前に開かれることは決してない。
その城に忍び込もうとした輩はことごとく空からの雷に打たれた。
何故、そんな輩が城門までたどりつけるのか。それは建物だけが浮かんでいるのではないからだった。
それは大陸をごっそりと地からえぐりとって浮かべたようなものだった。
その大陸は白銀の塔を丘の頂にして、裾野に広がるように街を抱えていた。
そして、街を囲むように山脈がそびえ、樹海が広がり、河が走り、湖が、池が点在していた。
当然、街には人が住みそれぞれの生活を営んでいる。
街を離れ、樹海や湖から魚や果物などを採ってくることを生業としている者から商人が仕入れ、それを街で売りさばいていた。
ここで言っておかねばならないのは、城と城の外とは人種も文化もまったく別のものであったことだ。つまり、天空の大陸にあってもその城は異質なものであったのだ。その大きさも高さも不自然なほどに巨大であった。
そんな大陸のど真ん中にどうやってか屹立している城を、人々が不思議に思わないのは彼らがそこで生まれ育ってきたから。
ただそれだけである。
この城自体が、彼ら、翼ある人々の〝国〟といえる。
その城国の人々は同族でありながら、カタチがまちまちだった。
人間と同じくらいの大きさの者や、赤ん坊くらいの大きさの者、また翼の色によっても階級が違っているようである。
それらのひとびとが忙しく城の中を行き来していた。
そこにはガブリエルという名を持つものがいる。
政を司る執行幹部の一人であるガブリエルの広い執務室は、膨大な蔵書を抱えた広い図書室と、実際の執務室の二部屋とがあった。
ほかにガブリエルや補佐官の私室がいくつかある。
その執務室にはベッドになりそうなくらい大きな黒檀の執務机、その前には客を迎えるための玉石で造られたテーブル、それをはさむようにビロードのかかったソファが置かれ、壁には深い森を幻想的に描いた大きな絵が掛けられており、ところどころにヒトの背丈ほどの観葉植物の鉢植えが置かれてあった。
その執務室を小さな天使が書類を抱えて行ったり来たりしている。
本当に小さい。身長約５０センチ。赤ん坊なみだ。
彼らは袖と裾がゆったりとした白いワンピースドレスを着ているので、動くたびにひらひらして蝶が飛んでいるように見えた。
彼らチビ天使が仕えるここの主は、勤勉なのか怠惰なのか、調べものを日に何度も繰り返し、その都度、巨大な分厚い本を引っ張り出してきては机に積み重ねるので、チビ天使たちは主の仕事が一段落ついたところをみはからって数人掛かりで本を棚に戻していかねばならない。
放っておけば何十とある書棚の本すべてが机の上に積み重ねられるに違いない。机の上だけですめば、どうということもないのだが、本の数が尋常ではないのだ。
まあ、そんなような主なので、他の執行幹部の補佐官と違って彼らは退屈する暇もないわけであるが、その他にもこまごまとガブリエルの身の回りの世話をしていた。
コンコン、とノックされた執務室の巨大な扉が、細めに開かれた。
静かに閉まると、ぱたぱたという音が聞こえ、すぐ後ろでペタンと落ちる音がした。
「ガブリエル様」
いつもの金髪巻き毛のチビ天使がちょこんと彼の背後に控えているのだろう。
彼は書類から顔を上げずにぶっきらぼうに言った。
「なんだ」
「ケルビム様より出頭命令が出ております」
「ケルビムの？」
ふん、と鼻を鳴らした彼は、濡れ羽色の頭をチビ天使に向けた。
「あのアタマでっかちが俺に何の用なのだ」
不遜で乱暴なことを大きな声で言うものだから、チビ天使たちは真っ青になって口元を押さえて硬直してしまった。
ただ、金髪巻き毛のチビ天使だけは真っ青になった途端、仲間とは正反対の行動に出ていた。
弾丸のように飛んで体当たりで主の口をふさいだのである。
「いけませんっガブリエル様っっ！そのような恐ろしいことを仰られては罰があたりますっっ！」
「もがが」
顔面に貼りついたチビ天使をべりっとはがし、猫の子を持つようにぶら下げたガブリエルは不機嫌そうにその小さな顔を見据えた。そして不敵にニヤリと笑ってみせる。
「…罰なぞあたったためしがないんだがな。沙門よ、貴様も懲りずに俺の邪魔をしてくれるな。その度胸に免じて俺と一緒に来い」
「ひいいいいいい～～！ご勘弁を～～～っ！私のような下級の者はお目通りはかないません～～～っ！」
沙門は半ベソかいて小さな翼をぱたぱたさせたが、いかんせん、この身長だ。人間の成人男性の平均身長１５センチは背の高いガブリエルからすれば、片手の扱いで十分なのだった。
「いいから来い。あのデカさにたまげるぞ～」
呵呵呵と楽しげに笑った主に、哀れなチビ天使は連行されていった。
その昔、大いなる意志は３人の代理人を大陸に下ろした。
３人の代理人は、それぞれが３人の補佐（セラヒム、セラベラ、セラム、サリム、サリメン、サリマ、ケルバン、ケルベス、ケルビム）を創り、政の監視役とさせた。監視役にはそれぞれ幾人かの監視役補佐がおり、それとは別に、８人の執行幹部がつき、執行幹部には数人の補佐がつく。その執行幹部を筆頭に文武組織が構成されている。
それぞれの執行幹部がどういった仕事を受け持つかは、９人の監視役が会議で取り決めるようになっていた。
ガブリエルの上司である監視役・ケルビムの執務室は、天空城の最上階に位置する。
その窓からは大陸全体が見渡せるという。
空は薄い色から濃い色へとグラデーションを見せ、日の光と星の光が同時に見られる。
まあ、しかし、そんな景色が見れる特権もガブリエルに言わせれば
「バカと何とかは高いところが好きだっていうしな」
だとかで、例によってチビ天使の体当たり口封じをくらうのであるが。
目もくらむような光の中、七色に輝く雲が波のように流れ、執務室へと続く回廊の柱は高く高く聳え立っていた。
ここには監視役に選ばれた〝美しい魂を持つ者〟たちが、彼らの命を受けるべく幾百人も仕えている。
本来ならこの階層に上がった時点でつまみ出されていたはずのチビ天使は、その神々しさに声もあげられず、ただただガブリエルにぴったりとくっついているだけであった。
ふと、前方の人々の、神々しいがひっそりとした行列に目を止めた。
「ガブリエル様ガブリエル様」
「なんだ」
「あの方たちは一体、並んで何をしてらっしゃるんでしょう？」
「…ああ、あれか。あれは監視役が用事を言いつけてくれるのをただ待ってるだけの連中だ」
「…」
珍しいずいぶん乱暴な言い方だと、チビ天使は思った。
言葉遣いはいつも乱暴な主だったが、立ち働く人々に対してこんな嫌悪を滲ませるような言い方をしたことはなかった。それを、ここで聞いたのが意外だったのである。
「…私なら退屈して死んでしまいそうです…」
ポツリと呟いたチビ天使の声が主に届いたのだろう。彼は場違いなくらい楽しげな笑い声をあげた。
やがて、ガブリエルは一つの巨大な扉の前で足を止める。美しい彫刻が施されたその扉を静かにノックした。
「ガブリエル参りました」
中はだだっ広く、「立っていろ」といわんばかりに何も置かれてない。そして、意に反して薄暗かった。しかし、上座…ケルビムの座す場所のみに天空から光が降り注ぎ、一層神々しく見えた。
ガブリエルは一応態度を改めてはいたが、ケルビムを見上げたその目には一片の敬意も畏れもありはしない。
そういう不遜さが彼が上司に嫌われる所以であった。
チビ天使は、しかし、まったく別のことに仰天していたのである。
上座のケルビムは白金の巻き毛でその顔は幼児であったが、表情は老獪だった。
そしてなにより、本当に巨大だったのだ。
主の上司に対する悪口雑言の一つに〝アタマでっかち〟があるが、あれは比喩でも何でもなかったわけである。
更に驚くべきことに、ケルビムには頭から下の身体がなかった。
丁度、首の付け根にあたる下方から翼が生えているため、飛ぶときには少々前屈みになるやもしれぬ。
主の悪口雑言その２に〝あれに迫られたらコワくて夢に見そうだぜ〟というのがある。
…確かに、前屈みになって正面から飛んでこられた日には、絶叫してしまうかもしれない。
そんなことをほけっと考えていたものだから、ケルビムが剣呑な視線で自分を見ていることに気づかなかった。
「ガブリエル。ここはそのような下級の者が入れるところではないのだぞ」
羽根の生えた生首に〝そのような下級の者〟と言われた沙門は、半ベソかいて竦みあがった。
「おお。こやつですか。これはこれは、私の部下がとんだご無礼を。あまりに小さすぎて一緒に連れてきてしまいましたな」
わざとらしく大仰に驚いて、ケルビムの視線からチビ天使を隠したが、ガブリエルの翼の中で沙門はしばらくぶるぶる震えていた。 気を取り直すように咳払いをしたケルビムは、厳かな声で重大発表をした。
「ガブリエル。そなたに行ってもらいたい所がある。下界へ降り、将来わたくしの補佐役を務められる白い魂を探してくるのだ」
ざわり、と室内がざわめきたったが、すぐにシンと静まり返った。…つまり、執行幹部の一人であるガブリエルの左遷通告だったからだ。
ケルビムは意地悪そうにガブリエルの反応を見ていた。その彼はしばらく気難しげな表情で考え込んでいたが、
「…つまり、阿呆を探してこいと…？」
ガブリエルの翼の中で、沙門が吹き出しそうになるのをこらえて〝ひくっ〟と喉を鳴らした。
「ばかものっ！清らかな魂を探してこいと申しておるのだ！」
ケルビムの怒りが噴火した。
…おおかたは自分の目論見が大幅にはずれてしまったことによる八つ当たりであろう。そのあおりをくらっても一人、平然とケルビムを見据える天使はのほほんとした顔で、ぽん、と手を打った。
「あー、なるほろ。キヨラカな、ね。承知いたしました。このガブリエル、必ずや我が上司のお気に召す者を見つけてごらんにいれましょう。」
〝ごらんにいれましょう〟に意味不明な響きが含まれていたような気がしたのは、チビ天使だけだったかもしれない。
「ああああああ～～どうしてでございますか！？あのように申されましてはいかにも角がたってしまいますぅ～～」
帰る道すがら、沙門は半ベソで主に訴えた。
ガブリエルはその訴えを無言で却下し、執務室に戻る前に自室に入り、着替えをすます。
おいおい泣く沙門の脇で、ゆうゆうと白い軍服のブーツの紐を締め、揃いの手袋をはめると、やっと向き直った。
「うるさいやつだな。人の陰に隠れて笑っていたのはどこのどいつだ？」
「うっ」
詰まる沙門をおいて、さっさと自室を出ると、執務室へとむかった。
「お…お待ちくださいっ…私も…私も参りますっ…！」
沙門は慌てて追いかけようとしたが、何を思い立ったか自室へ飛び込んだ。
「え～～～～ガブリエル様、ほんと～に下界へ行かれるんですかぁ～～？」
執務室でチビ天使たちの大合唱が沸き起こった。
こいつら一様におんなじことを言いやがる…
「当然だ。上司の命令には逆らえまい」
胸を張って応える主に、チビ天使たちは疑惑の目をむける。
「いっつも逆らってるくせにぃ…」
「なんかゆーたか？」
「いーえっ！」
６人のチビ天使が並んで不服そうに主を見上げている。
ちなみに、ガブリエルは６人にも呼び名をつけていた。
左から、阿梨、那梨、ト那梨、阿那盧、那履、拘那履である。
「いつお帰りになるのですか？」アリが問う。
「わからんな」
６人は輪になって相談し、
「ガブリエル様がお出かけの間、ご本を読ませていただいてもかまいませんでしょうか？」
ナリが代表して言った。
「かまわんよ」
「それと、どうか、この前のようにゴキブリとかいうような害虫はもうお持ち帰りにならないで下さいましね。あれはもう本当に駆除がタイヘンだったんですから。でも、トンボとか、蝶々とか、鳥とか猫は大丈夫でございます。あ、この前下界で拾ってこられた雀のチュン太は元気でございますよ」
「ほう。あの雀の面倒をみてくれたのはクナビだったか。今度連れてきてくれ」
「かしこまりました」
クナビは嬉しそうに笑ってペコリと頭を下げた。
「では、後を頼む」
執務室のバルコニーに出たガブリエルはその翼を広げた。
チビ天使たちから思わず〝ほうっ…〟とため息が洩れる。
純白の詰襟の軍服に身を包み、その背には純白の翼。濡れ羽色の髪が白い美貌をくっきりと浮き上がらせたその様は、チビ天使たちの主自慢のネタの一つだった。
バサリ
翼が風をたたき、ガブリエルはふわりと飛んだ。
その、チビ天使たちのうっとりした余韻を悲壮な声が破った。
「ああああああっ！ガブリエル様…っ！お待ちくださーいっっ…！」
仲間たちが仰天している脇を、大きな鞄を抱えた沙門がヘロヘロ飛び過ぎる。そして、えいとばかりにその階から飛び降りた。
６人が慌てて下を見下ろせば、鞄の重さに下へと引きずられて落ちていく沙門の姿と、遥か下方に主の白い翼が見えた。
ケルビムが退出した後、側近の補佐たちが執務室に残された。
その補佐たちも何を喋ることもなく、静々と退出していく。
まるで動く人形の群れ…。
その不気味な集団をいくぶん気味悪げに眺めていた一人がポツリと呟く。
「…何故ガブリエル様が地上などに…？」
「ああ、お前は入って間もないからな、知らぬのも無理はない。あの方は一度、下界から素晴らしい人材を連れて来られてな。ケルビム様もいたくお気に召された者だったのだが、ある日突然、その者が姿を消してしまったのだ」
傍らにいた先輩らしき一人がひっそりと応えた。
「えっ…？それはどういう…？」
高い声を上げそうになった相手をシッと制しておいて、彼はごく低く囁く。
「ウワサでは、その者がここから逃げ出したとか、連れてこられた当のガブリエル様が、自分の補佐にしたいがために連れ出されたとか、ケルビム様に気に入られたのを妬んで下界に戻されたとか、まあ、いろいろ取り沙汰されたのだが、真相はわからぬままだ」
「…はあ…」
「まあ、あの方はあのように奔放な方だからな…。どちらかというと、ケルビム様よりセラヒム様との方が相性が良いのではないかと…」
そこまで言って、横から低く叱責の声が入った。
「おい、滅多なことを口にするな。新入り、お前もあまりこのことには首を突っ込むなよ。我々はケルビム監視の命にだけ従っておればよいのだ。それがあの方のご指示だ」
「………」
「………」
ケルビムの執務室は再び静寂に包まれた。
