ランディとエリスは、両親の死を引っ越し先で知った。
両親から先に行くよう言われたからだ――おそらく、父は自身の命が狙われていることを承知していたのだろう。
自分が【医学会】との関りを持たぬよう転々としてきたのは、エリスの能力が万一にでも知られるのを恐れてだ。
しかし、まさかあの古い通信機にそんなデータが隠されているとは考えもしなかった。
「……あんたはそのデータを修理の際にみつけたのか……？」
「逆だ。あんたの親父さんに頼まれて通信機に隠したのが俺だ。尤も、その時点じゃ何のデータだかは知らされなかったがな」
それからほどなくして、ソールン医師からデータの中身を明かされたのだという――それは、トイとソールン医師に共通の懸念があったからだ。
トイがこまめにメンテナンスに来ていたのはそのせいでもあったのだろう。彼の言葉の真偽はわからないが、ランディには、父の懸念がエリスの異能にあったのだろうことは容易に想像がついた。
父がそのデータを盗み出したのは、万一、エリスの異能を【医学会】に知られた時の交渉材料……いや、脅迫材料にするつもりだったのかもしれない。
今となっては確かめようもないことだが――
「では……私を研究棟へ異動させたのは、【医学会】からそのデータの情報が研究棟へ漏らされたからなのか……監視するために……？」
それにしては何か微妙なズレがある気がする……掴めない違和感にランディの眉間にしわが刻まれた。
そのタイミングを計ったわけでもあるまいが、トイが口を挟んだ。
「……いいや。政府病院の研究所はそんなデータの存在は知らねえはずさ。動いたのはサタナの軍だ。化学兵器専門のな」
「な……？！」
「サタナが学術機関やら研究機関を抱えてるのは知っての通りだ。だが軍は、政府病院の研究所だけじゃねぇ、あちこちの研究機関からヤバイもんを買ってるってことだ。異動に関しちゃ、【医学会】から軍に要請があったか、相当の金が動いたんだろ。まあ……お前さんの拘束は、時期的に好都合だったろうよ」
「……研究棟から再度、病棟への異動を願い出たからか」
「研究棟でやらかしてることを外に漏らされちゃ困る、ってえのが研究所の言い分じゃなかったかい？」
トイは低く嘲笑を漏らす。
そうだ。そしてランディ自身もそう思っていた。研究棟側の言い分はまさしくその通りなのだろう。ただ、その背後に軍の思惑があったということだ。
「【医学会】のデータは……やはりあの日、軍にとられたのか……」
「……おそらくな。通信機のコードが切られていたところを見ると、データ回収の痕跡を探知させないためだろうが……ふん……アナログ機器を舐めてやがるな」
「え？」
最後の呟きの意味がよくわからず、くつくつと嗤うトイを怪訝そうに見上げたランディだったが、無論、それに対する返答はなかった。
政府病院の研究棟――
軍の一部が破損の激しい区域に踏み込んだ時、傭兵らしき者が数人と、白衣を着た男が二人死んでいた。
白衣の一人は人差し指を失っており、もう一人は指名手配されていた人物――オルベックと確認された。
「報告します。指名手配中のオルベックを発見、死亡が確認されました。もう一人は政府病院研究棟の副所長と思われますが、現在身元を確認中です。いずれも死因は銃撃によるものと確認いたしました」
「オルベックだと……？！」
中年の士官は驚きの声をあげ、白衣の死体に近寄った。
大きく目と口を見開いた老人の顔は、ひどい火傷の跡で覆われていた。胴体には数発の銃痕があり、そのうちの一発がまっすぐ心臓を貫いている。仰向けで倒れているオルベックの下には、解剖途中の生物らしきものが潰れていた。
士官は顔をしかめると、携帯端末でオルベックの頭部の骨格認証を行う。照合完了――それを確認して一つ頷いた。
「……ご苦労。死亡者を運び出し、司法解剖に回せ」
「はっ！」
下士官が走っていくのを見送っていた中年の士官は、誰にともなく呟いた。
「長年、人間やら動物やらの命を弄んできた狂人の死因がレーザー銃一発とは……殺された者たちには不満な結末だろうな……」
――否。人の死とはそんなものかもしれなかった。
一方、副所長によって研究棟の地下へ放り込まれた研究員たちは、脳みそをフル回転させて記憶を堀り起こし、やっとの思いで通用口を潜り抜けた。
「よし、出たぞ……！」
歓喜もつかの間、複数のレーザー銃に取り囲まれた。
「全員手をあげて壁に向け。抵抗しなければ発砲しない」
「…………」
研究者たちは蒼白のまま、粛々と外へ出ると壁際に並んだ。
地下の闇の中へ引き返すものは誰一人いなかった。
一番大きな出入口と思われる場所へ向かっていた別の部隊は、目標まで三十メートルの地点で爆発に遭遇した。
「伏せろ！」
兵たちは咄嗟に地に伏せ、頭をかばう。が、すぐさま態勢を整え、第二波に備えてシールドを展開しつつ爆発地点へ近づいていく。
濛々と舞い上がっていた粉塵がおさまったとき、突如、巨大な影が躍り出た。
反射的に銃を構えた兵士たちだったが、目の前に現れた信じられないものの姿に唖然とする――薄い赤色の羽毛で覆われたそれは、細長い首とがっしりとした長い脚を持っており、空を飛ぶより地を駆けるものであることがわかる。地面から頭のてっぺんまで三メートルをゆうに越す巨大な鳥だった。
そのふんわりとした羽毛の胴から、青年の声が聞こえてきた。
「ピキ、ありがとう。大丈夫か？ 重かっただろ？」
青年は滑り落ちるように巨鳥から降りると、気づかわし気に見上げる。
「き、君はまさかダリューン君じゃないか？ テイル議員の子息の……？！」
「えっ……」
いち早く現実に戻った士官が青年に声をかけた。
青年はそこで初めて軍兵に気づいたらしい。
いまひとつ状況が理解できていないダリューンの前に進み出た士官は、軽く敬礼をして言った。
「失礼。自分はサタナ軍第二大隊所属第七小隊のアレキサンダー・リバーと申します。今回、御父君があなたの誘拐を公表し、我が隊が救出に派遣されました」
ダリューンは少しの間士官を見つめていたが、一礼するといくぶん声を抑えて尋ねた。
「……ありがとうございます。……ひとつ聞いてもいいですか？ この地下にはたぶん、もう一人医師が監禁されていたはずなんですが……」
「自分たちはその情報は存知しておりませんが、おそらく地下へ入った別動隊が救出に回るかと思われます」
「そうですか……」
士官の言葉にほんの少し安堵したらしい青年が小さく息を吐く。
――と。
「ダリューン、大丈夫か！？ おおい！」
「居たら返事して……ゴホゴホ」
「ダリューン殿！」
懐かしい声と知らない声が、今まさに自分が出てきたところから響いてくる。
「……ダグラス？！」
ダリューンはよろめきながら爆発で空いた穴に駆け寄る。
兵たちも慌ててそれを追い、不測の事態に備えるよう身構えた。
まだシューシューと熱を発して溶けかけている鋼板に触れないようにしながら、ダリューンは穴を覗き込んだ。
その横からピキが目をぱちくりさせて首を伸ばしている。
「……ダグラスか！？」
「ダリューン！」
親友の顔を久々に見合った青年たちが歓声をあげる。そして、ダリューンはダグラスの隣に立っている少女と老人に気づいた。
「……ソールン？」
なぜここに？ と問いかける前に、ダグラスが口を開く。
「おい。助けに来た俺らがここに居て、なんでお前がとっとと外に出てんだよ」
「…………」
久々の再会にも関わらず、いつもと変わらない親友の口調に、ダリューンは思わず吹き出した。
ダグラス、エリス、オリヴィエの三人は、アレキサンダー・リバー率いる兵たちによって地下室から引き上げられたのだった。
