※※※発暢
突如現れた銀色のドラゴンの姿に政府病院の門前は騒然となった。突入を開始した軍にも動揺が走ったが、素早く態勢を立て直し任務遂行に移ったのはさすがと言うべきだろう。
「総員、配置に着け！ 一般研究員は保護せよ！ 抵抗、逃走するものは捕捉せよ！」
「はっ！」
司令官の命に兵士らは敬礼を返し、数班に分かれて研究棟の出入り口に向かう。残った十数名の兵は司令官とともに研究棟地下へまっすぐに向かった。
「司令官殿。この研究棟の見取り図は……」
副官らしき士官が、後方に続く兵たちに憚るように声を落とし、尋ねようとした。だが、上官の一瞥に口をつぐむ。
「……家に帰って旨いもんを食べたきゃ、余計な詮索はするな」
「……失礼しました」
ぼそりと呟いた上官に、副官は小さく頭を下げる。
軍の情報部から調達したものでないことだけは確かなようだった。
一方、モールヴァルフからもらった研究棟の見取り図を確認しつつ地下へ入ったエリスたち三人は、まず異臭に顔をしかめることになる。
「死臭でございますね」
オリヴィエは淡々とした表情で、奥に続いているであろう暗闇に目を向けた。
ハンドライトの光は、まるで闇に吸い取られているかのように儚く、頼りない。
こんな……明かり一つ点いていないところに兄は何日も何日も閉じ込められていたのか――エリスはぶるっと身を震わせた。
（……落ち着いて。まずは兄さんがいる部屋に行くのよ）
エリスは闇に足を竦ませる自分を叱咤し、見取り図をライトの光でもう一度確認する。
（どうか無事でいて、兄さん……！）
兄の姿を強く強く思ったその時、彼女の眉間のあたりで白いスパークが起こった。
「あっ……！」
額を押さえ、よろめいたエリスをダグラスとオリヴィエが慌てて支えようと手を伸ばす。
「大丈夫か、エリス？」
ダグラスが気づかわし気に声をかける。
「ごめん……大丈夫よ。……急に、思い出したことがあって……」
「思い出したこと？」
「うん。自分のコト……」
エリスは言いながら冷たい壁に手をつき、目を閉じた。
そして全神経を集中させ、意識の【手】を広げていく――小さいころ、よくそうやって遊んでいたように――。
「おい、エリス。何やって……」
怪訝そうに声をかけるダグラスを、オリヴィエがそっと止めた。
彼女の【手】は、大切な存在を求め、あらゆる物質を透過して走っていく。
（……ああ、そうだ。すごく叱られたんだっけ……）
すごいね、と褒めてもらえると思ったのに、ひどく叱責を受けて、もう絶対しない、と約束させられた。そうしているうちに、すっかり忘れてしまっていたのだ……いや、自分で無意識に封印してしまったのかもしれない。この異能を――。
漠然とそんなことを思いながら、エリスの【手】は、兄がいるはずの部屋を探し当てる。
だが。
「……いない……扉が開いてるってことは、どこかへ移動したのかしら……？」
独り言のように呟き、さらに存在を求めて【手】を伸ばす――しかし、どんなに丁寧に探ってみても兄は見つからなかった。
まさか、という恐ろしい考えを無理やり押しのけて更に感覚を伸ばすと、ふと覚えのあるものが触れた。
兄ではない。けれどあれは……
「……ダリューン……？」
鋭い呼気とともに友人の名が漏らされる。
「……っ！ あいつがどうした？！」
ダグラスは掴みかからんばかりの勢いでエリスに詰め寄り、ごつんと頭をぶつけてしまった。
「「イタッ！」」
エリスとダグラスが同時に声をあげ、額を押さえる。
「ダグラスぅぅ〜〜」
「いてて……。すまん。暗闇で目測を誤った」
ライトがなければ自分の手さえ見えない闇の中で目測も何もあったものではないが、こんな状況でもいつもの飄々とした彼の言いぐさが妙におかしくて、エリスはぷっと吹き出した。
「なんだよ？ で、ダリューンがどうしたって？」
「ああ、うん。彼は無事よ。誰かと一緒にいるみたいだけど……」
「誰かって……君の兄さんじゃないのか？」
ダグラスは怪訝そうに尋ねた――いろいろと問い質したいことがあるのだが、目下の最優先事項を選択する。
それへ、エリスは「違うわ」と首を振った。
「……でも、あれ……人間、なのかしら……？」
「は……？」
「手間をかけさせて申し訳ない、千早殿」
シヴァーン・ブライトナーは銀色のドラゴンに乗ったままの千早に声をかけ、ウルフを抱えおろした。
政府病院からほど近い場所にある高層ビルの屋上に彼らはいた。
一機の小型旅客機が停まっており、その周りに数人のボディガードが立っている。一見、個人所有の小型旅客機だが、ブライトナー総帥が乗る船だ。ただの旅客機であるはずもなかった。
「いや、気にしないで。シヴァ……あまりウルフを責めないでやってくれないか」
千早の言葉に、シヴァーンは少しの間のあと溜息をついてみせた。
「……わかりました。千早殿の言葉に免じて、ほどほどにしておきましょう」
それへ千早は苦笑を返したが、はっとしたように研究棟の方へ振り向いた。
「いかがなさいました？」
「……今、何かの力が……魔法ではないな……これは力というより【意識】……？」
シヴァーンの問いに、千早は呟くように応える。
彼には違いがわからないのだが、千早の感覚ではいわゆる魔法使いが使う【魔法】と、そうではない【力】は感触が違うらしい。
ゆえに。
「例えば、超能力のような？」
「ああ、そう！ そんな感じだ。そうか……あの子は能力者だったのか……」
シヴァーンの的を得た言葉に彼女は深く頷き、小さく笑った。
「オリヴィエが残ってくれたのは僥倖だったかな」
「！ 魔女様、大丈夫です！ オリヴィエならきっとお姉ちゃまの力になってくれますから！」
千早の小さな呟きを聞き逃さなかったウルフが、シヴァーンの腕の中から勢い込んで身を乗り出す。
「ウルフ」
シヴァーンの低い声に、少女は両手で口を押さえ、首をすくめた。
政府病院理事室から逃げ出した研究所長は、白衣を脱ぎすて病棟への地下通路を全力疾走すると、古ぼけた鉄扉を押し開け、外へ出た。
「……あれか！」
路地にとめられていたのは一台のランドカー。
研究所長は飛びつくようにしてそれへ乗り込んだ――万一の時のために巨額の投資をしていたのだ。これでサタナから脱出できる。
「こんな……こんなところで、私の人生をめちゃくちゃにされて、たまるか……！」
ランドカーは狭い路地裏を猛スピードで走り抜けていった。
「さて……。じゃあ、俺たちも行こうか、坊ちゃん」
トイは通信機を懐にしまい込むと、ランディの腕を掴んで立たせ、ランドカーに押し込んだ。
塀の向こう、遠く発砲音や人々の悲鳴と怒号が入り乱れているのが聞こえる。
ランドカーにはトイと自分しか乗っていないらしい。どこへ向かっているのかわからないが、ランディは幾分はっきりした口調で尋ねた。
「トイ、聞きたいことがある……私を政府病院へ招致するよう仕向けたのは、あんたなのか？」
「違うね」
無視されるだろうと思っていたのだが、意外にも即答がもたらされた。
「坊ちゃんが政府病院に目を着けられたのは、通信機に入ってる『医学会』のデータのせいさ」
「医学会のデータ……？ あれには連絡先しか……」
ランディは怪訝そうに運転席のトイを見上げる。
目深にかぶった作業帽の下、トイはこちらに目を動かすこともなく、無表情に言った。
「いいや。もっとやばいデータだ。あんたの親父さんが『医学会』から盗み出したものが入ってる」
「え……？」
「それが『医学会』にバレて、あんたに真相を告げる前に、消されたんだ」
「では……あの、事故は……」
引っ越し直前の両親の死は――
「あんな不自然な『事故』があるもんかよ」
トイは無表情のまま、吐き捨てるように言った。
