二年後
―――黒天使 挿話１―――
天空に浮かぶ大陸の真ん中に屹立する白銀の城。
人々は天使の城と呼んでいた。
その天空城の最上階には政の頂点に立つ九人の監視役がおり、それぞれに８人の執行幹部が着き、執行幹部を筆頭に文武組織が構成されていた。
『城』とは呼ばれているものの、それはあまりに広大すぎ、一つの国として存在している。
厳しい階級制のもと、ひとびとはそれぞれに見合った場所に住んでいる。
――すなわち、身分の低い者ほど人間界との境に近い、城の最下層にいるのだ。
だが、学校にこの身分制は適用されていない。９年制の初等部、その後は高等部・大学と続き、優秀な人材はどんどん国の中枢へ吸い上げていくようになっている。
勿論、初等部を終え、そのままどこかの騎士団に入団したり、別の職につく者など多種多様であった。
そんな制度であるため、学校にはさまざまな家庭環境で育った子供達が一つ所に集まることになる。
今年、入学試験を主席でパスしたのは、『城の最下層に住む医者の孫』だった。
漆黒の髪、漆黒の翼、そして、金粉を散らしたような褐色の肌に夜空のような藍色の瞳を持つ
美しい子供だった。名をソウマという。
生徒らは無論のこと、教職者たちの間でも話題の的となった。
何故かならば、『黒』は禁忌とされる色だからだ。
「学長は何ゆえにあのような者の入学を許したのですか…？」
「何でも、あの子供を育てている医者から頼まれたようですよ」
「医者？何者なのです？」
「さあ、詳しくは知りませんが、随分昔にアクラ騎士団の総帥であった方だとか…」
「まあ…」
――とまあ、こういった具合に黒い子供は人々の視線を集めていたのである。
大人たちの複雑な感情をよそに、子供達はすぐにうちとけてしまったようだ。ソウマの人懐こい性格も手伝ってか、幸いにも、クラスメイトとは上手くやっているようであった。
入学して２ヶ月ほどたったある日、ソウマは８年生の男子生徒３人に呼び出された。
「たいへん…！」
連れて行かれるソウマをクラスメイトの女の子が見つけ、身を翻して職員室へと猛ダッシュした。
ソウマが連れて来られたのは学舎の裏手だった。
白い花が浮かぶ池と、そのほとりにいくつかの東屋が建ち、その先には林が広がっていた。
人が通らぬをいいことに、少年たちは小柄なソウマを散々に小突き回した。
「お前、学年主席なんだってな」
「黒いくせにナマイキだよな。悪魔にでも勉強教えてもらったのかよ」
「父上は、こいつが入学できたのはこいつを育ててる医者が学長に入学を頼んだからだと言ってたけど、お前、その医者に呪いでもかけたんだろう」
上級生の言葉にソウマは口をつぐみ、睨むように見上げているだけだった。
その態度にカッとした一人がソウマの胸倉を掴んで引っ張り上げた。
「おい、何とか言えよ」
「ヨウが…先生に頼んでくれたことは…確かだよ。でも…僕は呪いなんか使えない」
「わかるもんか！お前の色は悪魔の色だ！」
持ち上げられ、苦しげに顔を歪めながらも淡々とした言葉を発するソウマを、少年は投げるように地に落した。
ドサリと尻餅ついた衝撃で、ソウマの襟元から銀の徽章がこぼれ落ちた。
「何だ、コレ？」
少年の手が、へたり込んだままのソウマに伸ばされ徽章に触れた。
「触らないで！」
撥ね付けるようなソウマの声と同時に白銀の閃光がはじけてバチバチと火花を散らし、
少年は悲鳴をあげて転がった。
「お前達、何をしている！」
数人の足音が聞こえ、教員の声が咎めるように響く。
少年達は脱兎のごとく逃げ出し、教員はそれを追いかけて行った。
「…う…うぅ…」
へたり込んだソウマの喉から押し殺したような嗚咽が洩れる。
握り締めた小さな手に涙が落ちた。
それからも、たびたびソウマは上級生に虐められた。養い親であるヨウも毎日増えていく傷に気付いていたが、何も言わずじっと子供を見守っているだけだった。
長期休暇を目前にした日の朝、担任教諭が言った。
「今日はアクラ騎士団が北の国境警備に出られます。皆さん、お見送りに行きましょう」
アクラ騎士団！
教室は大喜びの声に湧き上がった。
（お父さんに会える！）
胸が躍るような喜びも束の間、ガブリエルが今の自分の姿を見たらなんというだろうか。
誰よりも強くなると、約束したのに…。
ソウマの心はいっぺんにしぼんでしまった。
城の中ほどにある大門は軍隊専用の出入り口である。
門から約８００メートルほどの滑走路が伸び、その階から天馬は空へと舞い上がるのだ。
学校中の子供達が集められたのは門の脇から１００メートルほどの部分までだった。
それ以上の浸入は危険であると騎士団から厳しく言い渡された。
ひと目憧れの騎士団を見ようと押し合いへしあいするクラスメイトに埋もれながら、ソウマもなんとか背伸びする。
大門がゆっくりと開かれ、白銀の鎧に身を包む騎士達が現れた。
うわあ！
子供達の口から大歓声が上がる。
先頭にたつのは黒髪の総帥、アクラ騎士団団長ガブリエルである。
ガブリエルは純白の鱗も美しい、巨大な天馬に跨っていた。
その脇には金茶色の髪の補佐官ローティスが虹色の天馬に乗っている。
（………！）
陶然としたように騎士団を見つめている中、ソウマの後ろに割って入った上級生が、その小さな背中を突き飛ばした。
「あっ！」
ソウマは声をあげ、向かってくる騎士団の前に転がるように飛び出してしまった。
「……っ！全軍、停止！」
ガブリエルは目の前に飛び出してきた子供を見るや、片手を挙げる。
騎士団はピタリと動きを止めた。
「ソウマ！」
ガブリエルの声に子供はビクリと肩を震わせた。
彼は天馬から飛び降りると、２年ぶりに見る息子に駆け寄る。
あっという間にソウマの視界はガブリエルの正面にまで引き上げられた。
「危ないだろう！踏み潰されたらどうする！……お前、ちょっと重くなったな」
「ごめんなさい…」
「どうした、この傷？」
縮こまっている子供を覗き込むようにし、頬につけられた傷に親指で触れた。
その光景にクラスメイトは勿論、教員達でさえあんぐりと口をあけ、ソウマを突き飛ばした上級生に至っては、蒼白を通り越し、灰白色になっている。
「え、あ、あの、その、…階段から、落ちて…」
「…ふうん。ローティス！」
ガブリエルは振り向き、副官を呼んだ。心得たようにローティスが歩みより、
「やあ、ソウマ。久しぶりだね」
「こんにちは、ローティス様」
「まったく、子供ってのはこんなに生キズが絶えないものなんですかね」
「まあ、俺も似たようなもんだったけどな」
「…お父さんも…？」
「ああ」
副官の手がソウマの頬に触れた瞬間、傷は綺麗に消え、顔だけでなく衣の下にあった打ち身や擦り傷もすっかり治癒されていた。
「…！ありがとうございます、ローティス様」
「なんの。この程度のケガなら私にだって治癒できるさ。この人のに比べれば」
そういって上官を指し示すローティスから、ガブリエルに視線を移したソウマは心配そうに彼の顔を覗き込んだ。
「…お父さん、危ないことはしちゃダメです」
「う…。わかっている。……ローティス、余計なことを言うな！」
副官以下、騎士団の面々は常にはない上官の様子にニヤニヤ笑っている。
溜息をついて子供をおろしたガブリエルは、ふと思い出したように言った。
「…ソウマ、この前一つ言い忘れたことがある」
「はい」
「”敵”というものは外にいるんじゃない。自分の中にあることを、忘れるな」
「……！はい、お父さん！」
きりりと引き締まった子供の顔を見て微笑むと、黒髪の天使はその小さな頭をくしゃりとひと撫でして再び騎乗した。
「出発！」
凛とした声が響き渡る。
陽光に鱗を煌かせた天馬たちが滑走路を駆け抜け、北の天空へと舞い上がって行った。
その日ソウマが家に戻り、今日の出来事を嬉しげに報告するのを聞いた老医師は、
「ほう、あれも殊勝なことを言うようになったもんじゃ。少しは成長したとみえる」
楽しげに笑い声をあげた。
「ヨウ、敵は僕の中にあるっていうのは、苛めっ子たちを恨んじゃいけないってコトだよね？僕が強くなればいいってことだよね？」
そう言った子供を少し驚いたように見つめた彼はボソリと呟いた。
「昔のあやつなら、そうは思わんかったじゃろ。…相当ひねくれとったからのう…」
「……？」
老医師は子供の黒髪をくしゃくしゃと撫で回した。
それ以後、ソウマが上級生に虐められることはなくなったようだった。
了
