※※※摧挫
「怪しい！」
ダグラスの一声がこれだった。
確かに、囚われているはずのランディのネームプレートがこんな所に落ちているのは不自然極まりない。どう考えても怪しいし、罠だと気づかない方がおかしい。
だからこそ……
「……行くわ。どのみち、ウルフちゃんに追いつかなきゃいけないんだもの」
軍が立ち入ってくれば事態がどう転ぶか判らない。だが、彼らが来ると分かっているからこそ自分たちが生存する確立は高いのだ。
自由に動けるのは今、この間隙をおいてない。
エリスの言葉に、ダグラスは一瞬の沈黙の後、苦笑しつつ溜息を吐き出したのだった。
オリヴィエはウルフの手を握り、少女に万一にも危害が及ぶことのないよう己の影になるようにしながら、指示される方へ歩いた。
思っていた通り、病院と研究所は地下通路で繋がっているようだ。
最初の扉を入ったら物置然として真っ暗だった。次の扉は幾分低く、人が通る扉ではないような造りだ。その扉の向こうは天井の高い細長い通路が続いていた。
「……そこのドアを入って階段を上がりな」
トイはレーザーライフルを向けたまま、前を歩くオリヴィエに指示を出す。
「お嬢様、私から離れませんよう」
ウルフは多少蒼ざめてはいたものの、囁いたオリヴィエにしっかりと頷き返した。
階段を上がった先にあった扉を開けると、まぶしい日の光に一瞬目が眩む。
「左だ」
言われた通り、オリヴィエとウルフは左手へ向きを変える。
窓は高い位置にあり外を窺う事はできないが、壁の白さとあいまってか廊下は随分明るい。
恐らく研究棟に入ったのだろう。だが、研究者らしき人の姿はなく、しんと静まりかえった中に彼らの足音だけが微かに聞こえているのみだった。
通り過ぎるいくつものドア……オリヴィエは奇妙なことに気づいた。
医療の最先端技術を誇るはずの研究棟の造りが古い形式のものであることに。
（……ハッキングを恐れてか……？）
一般的なビルに限らず街も、エネルギー供給を統括しているコンピューターを抑えてしまえば全てが停止してしまう。無論、緊急時のために手動に切り替える操作もできるが、ここのようにもとから手動ならそんな心配はない。そして、その分エネルギーも別の必要な場所へ使う事ができるだろう。
「止まれ。……その部屋へ入んな」
オリヴィエはウルフを庇うようにドアノブを掴み、ゆっくりと開けた。
ガチャリと複数のレーザーライフルが向けられ、動きを止めたオリヴィエとウルフの向こうで白衣の男が振り返った。
「……何だね、研究員たちは地下室へ放り込んだかね？ ……そこのお客さんはどなただね？」
副所長の小さな目が酷薄な光を放って場違いな闖入者を見遣る。
トイは目深に被った警備帽の下でにこりと笑ってみせ、完了だと告げた。そして、
「こちらはブライトナー家のお嬢さんですよ。どうやら、研究棟に御用らしかったんでお連れしたんですが」
「ブライトナー？」
副所長が怪訝そうな声を発する。その傍らで、一心に手術台を覗き込んでいた老人が振り向いた。
「ブライトナーだと……！？ あの魔法使いの一族のか！？」
老人――オルベックは覆面から覗く目をぎらつかせ、真っ直ぐウルフを見据えた。
幼い少女の身体がびくりと震えあがる――その前へ、すっと影が立ち塞がった。
「お嬢様には指一本触れさせませんよ」
「何をしている。捕えろ！ 男は殺せ！ だが、子供は傷つけるな！」
オルベックが叫び、警備兵たちがレーザーライフルを向けるが、いきなりオリヴィエの胸に飛びついた少女を見て慌てて銃口をそむける。
ウルフを抱きかかえたオリヴィエは、神業のような回し蹴りで警備兵の手からライフルを蹴り飛ばし、素早く奪い取ったそれを撃ち放って数人の警備兵たちから武器を弾き飛ばした。
すぐさま格闘に切り替えた警備兵たちがオリヴィエに襲い掛かる。だが、少女を抱えているにも関わらず、男の戦闘力は凄まじいものがあった。
「くそ……っ！ 何者だ、貴様！？」
「オリヴィエはわたくしの執事よ！」
若い警備兵が毒づくのへ、誇らしげに応えたのはウルフである。
老執事はくすりと笑い、一瞬の間隙を縫って優雅ともいえる所作で一礼してみせた。
「ええ。その通りでございます」
その時、外でドオンという爆発音が聞こえた。
「……っ！ 軍が……？！」
繰り広げられていた乱闘に、半ば唖然としていた副所長が我に返り、コンソールパネルに飛びつく。
一つのボタンに手を伸ばした瞬間、一条の光が男の人差し指もろとも、そのボタンを破壊した。
「ぎゃあっ！」
副所長の絶叫が響き渡り、何が起こったのかと警備兵たちの目がのたうち回る白衣の男に注がれる。
そして再び、彼らに轟音と震動が襲い掛かった。
「わあっ」
部屋のドアが吹き飛び、破壊された壁や金属片が飛び散るなか、頭を覆う警備兵たち。
オリヴィエはそれらから少女を護るように覆いかぶさり、彼女を抱きかかえたまま瞬時に身を翻して部屋を飛び出す。その一瞬、怪訝そうにトイに目を走らせた。
トイもまた他の警備兵と同じように頭を抱えていたが、その表情はまったく見えなかった。
（……あの男、なぜ……？）
あの位置からコンソールパネルのボタンを撃ち抜いたのは、偶然だったのか……？ そうでなければ、恐ろしいまでの技量である。
だが、オリヴィエの疑問は、目の前に現れた信じがたいものの姿を見た瞬間、頭から吹き飛んでいた。
「魔女様っ！！」
ウルフの歓喜に応えるかのように、静かなアルトの声が降ってきた。
「迎えに来たよ、ウルフ」
長い黒髪が風になびく。黒い瞳に陽炎のように浮かび上がる金の光が印象的な――研究棟の頑丈な壁を難なく破壊し、傷一つなく白金の輝きを放つ巨大なドラゴンにゆったりと腰掛けているのは、ペンタスの魔女その人だった。
上の騒動など何一つ伝わって来ない研究棟地下の一室。
ダリューンは持っていた部屋の鍵を使って小さな螺子と奮闘していた。
やがて――
「……もう少し…………っ！ よっし、外れたっ！！」
ダリューンはピキを拘束していた足枷を外すとガッツポーズをとった。
「アリガトウ、だりゅーん」
ピキはゆるゆると立ち上がり、足踏みするように左右の足を動かした。
ダリューンは汗まみれの顔に晴れ晴れとした笑みを浮かべて自由になった鳥を見上げる。
不意に、その鳥の目がきらきらと輝き始め、窓の外を凝視した。
「……来ル……」
「え？ 来るって、なにが……？」
「シャラマンドゥーラ ノ 光……」
興奮したように翼をばたつかせるピキを、ダリューンは不思議そうに見上げた。
そのとき、彼らの耳に爆発のような轟音が響き渡った。
思わず耳を押えたダリューンにも気づかぬ様子でピキは嬉しそうにその名を呼んだ。
「シャラマンドゥーラ……！！」
